漫田久子の備忘録

日常、競馬など

下痢してたら令和になっていた

この3日間、臓器をひたすらに酷使していたので、今日は夕方あたりから腹下しが止まる所を知らない。駅弁のウニ丼弁当を皮切りに、静岡おでん生しらす、生桜えび、しーすー、ホテルのビュッフェ、金目鯛の煮付け、鰻重(梅)…etc.食いすぎだ。その間に日本酒を1升、生ビールを6杯、缶ビール500mlを3本、ジントニック3杯、糞まずい静岡緑茶ハイ1杯…飲みすぎだ。今日は暇をもて余したのでひたすら酒しか飲まなかったのが余計であった。

 

そんなんで腹下し中に平成が終わった。自分が生まれた時代が淡々と終わり、新たな時代へと進んでいく。感慨もなければ世の中の祝福ムード、便乗商法に辟易とするばかりだが、数十年に一度の機運だと思えばなかなか乙に感じてきた。

 

そんな冷めたことを言いつつ平成最終日に皇居を訪れた。如何にもなネトウヨっぽいおじさんや、ガチで天皇陛下を有り難がってそうな車イスのご老人方、なんのこっちゃわかっていないであろうインバウンド、日本人なのになんのこっちゃわかっていないであろうヤングなアベック、他人の家に向かってひたすらカメラを構える気味の悪い国内外のマスコミ…色んな人間が集結した。暇潰しに来た僕のような非国民もたくさんいただろうが、こんなにダイバーシティな空間は正に非日常であり、日本の片田舎で日々鬱々と暮らす自分にとってかなりビビッドな経験だった。さすがに春天のハズレ馬券を握りしめて野次を飛ばす競馬ファンは見つけられなかった。

 

現代日本はどんどん住みやすくなり、比例してどんどん生きづらくなっている。文明の利器は人間のしょうもなさを浮き彫りにばかりしている。令和になって時代が進めば更に拍車がかかるのは自明であり、平成よりもクソな時代がやってくるのはまず間違いないだろう。この世に生を授かったこと自体クソなので、僕にとって平成よりも最悪な時代と言うのは存在しないわけだが。

 

話はまったく変わって、皇居はめちゃくちゃ良い場所だと思った。皇居ランナーなどという他人の家の周りを走り回る気色の悪い集団を馬鹿にしていたが、これは走りたくなるなと速攻で心変わりした。競い合うように建てられた節操ない丸の内の高層ビル群と、東京の街を400年見守ってきた皇居のコントラストは、これまた非日常的な空間を生み出している。クソな時代が待ち受けていようとも、あの空間は日本が守り続けなければいけない素晴らしい文化だと思う。

 

みんなが新しい時代へ向けて前向きな目標を語る中で恐縮だが、自分は令和が終わる前に死にたいと思っている。そこに向けて全力で走って枯れ果てたいと思う。

Twitterで「令和」をミュートしたったwww

今タイトルを打ってて「令和」が一発で変換できたため非常に驚いたが、ご存知の通り本日4月1日新元号が発表された。

 

正直改元について僕は死ぬほど興味がなくて、仕事が忙しかったこともあり「令和」に決定したことを午後2時頃把握した。興味がないと言ってももっとワクワク感があるだろうなあと期待していただけに、ここまで淡々と1日を過ごし「あっ、そうすか」的な感情になるとは思わず若干拍子抜けした気分ではある。

 

改元したから自分の何かが変わるわけでもないし…などという中二病みたいなことを言う気はないが、いつもと変わらない日常が実際に延々と続いていくわけである。一部の人は改元に際して仕事がめちゃくちゃ忙しくなったりするかもしれないけど、誰が何と言おうと大部分の人にとってこれは紛れもない現実だ。

 

僕は学生時代に歴史学を専攻していたので中途半端に元号の知識を持っている。まあこれは日本史の授業で習う範囲のことだけど、現在日本では「一世一元の制」に則り、天皇在位中の改元はしないことになっている。今回も新元号発表こそ在位中に行ったが、改元そのものは譲位後の5月1日になるためその原則は守られた形だ。また諡号(しごう)といって天皇崩御したあとにつけられる名前が存在する。現在は基本的に「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」と呼ばれるように在位中の元号が用いられている。

 

しかし歴史を遡るとこの原則がずっと守られてきたわけではない。例えば平安京遷都の桓武天皇が在位していた時代の元号は、「桓武」ではなく天応~延暦の期間だ。一世一元の制でもなければ諡号=在位中の元号でもない。日本では長い間、天皇即位以外にも疫病が流行ったり天災が起きた不幸のタイミングや、逆に良いことが起こりそうなタイミングなど、何かと理由をつけて行われていたためである。

 

今回の改元は譲位のタイミングで行われたので、元号が変わり新元号は何になるのかということばかりに注目が集まった。別にそれ自体問題はないし大いに盛り上がってほしいが、そういった歴史を振り返ってみると、新しい時代をどう生きていくか、どう作り上げていくかをしっかり考えていきたいと感じる。

 

従来崩御のタイミングで改元が行われ、新元号は毎回自粛ムードで何となく暗い雰囲気のまま突入していったと周りの大人たちから聞く。しかし今回は今上天皇の大変な慈悲深さにより、明るく前向きな改元を迎えることができた。ここがいつもとは違う部分。

 

冒頭で「改元したから自分の何かが変わるわけでもない」と書いたが、淡々と何も考えずに暮らせばその通りなるだろう。しかしそこに何らかの価値観を創出するのも自分次第で、日常を変えるきっかけになる貴重な瞬間になるのかもしれない。

 

最高に明るい改元をスタートにして、次の改元を迎える時に「令和、良い時代だったな」と燗酒をすすりながら語り合える日々にしていきたい。改元そのものに興味や高揚感はなかったが、そんなことを考えながらいつもの晩酌をしみじみと終えた。とりあえず令和で競馬をやめたい。

マヌケな競馬村と瀧川寿希也

前からバカなんだろうなあとは思っていたが、ついに「本物」であることが証明された瀧川寿希也騎手。このモンスターを生んだ競馬界は本当に罪深い。呆れて言葉も出ない時代錯誤な競馬村だが、抜本的な構造改革が為されない限り、定期的にこういうアホが生産されていくことは自明であろう。

 

そもそもこの業界は以前から言及されているように、社会一般の感覚から大きくかけ離れた側面が多く見受けられる。八百長が横行しているなんてのは最たる例で、「公正競馬」などと抜かしておいて、馬主を守るため、競馬を存続させるためだなんだと正当化し、真逆の行為を平気で看過してしまう。

 

仮にあのマヌケがネットで囁かれているように、八百長に嫌気が差して騎手を辞めると言っているならば、それは当たり前の感覚だしむしろ応援したいとさえ思う。僕が大好きだった中野省吾も、恐らくそれ絡みで南関を追い出されたのではないかと言われている。一人の若者が大きな組織相手に声をあげること自体、本来ならば尊敬の念を抱かざるにはいられない。

 

しかし今回は軽蔑しかない。あまりにも社会常識が欠如しているし、人間として幼すぎる。優しいファンや周りが正してあげようとオブラートに包んでアドバイスしてあげているのに、「自分に意見する人間は全員敵」とでも言わんばかりに突っかかっていく。騎手以外の職業はカス、一緒にするなとまで言い出した。まともな大人なら今後こんなやつを相手にすることはないだろう。お中元や営業活動なんて場末スナックのインドネシア人チーママでもやっている。

 

誰かが以前「騎手なんて所詮中卒」とバカにしていたが、言い得て妙だなあと感心している。しかしこれを正論にしてしまっているのは競馬村の怠慢だとは思わないだろうか。人間教育を疎かにして、一般的な常識すら教えていない。いや、もしかしたら教えているのかもしれないけど、こんな不完全な人間を平気で世に放ち、有望株として良い乗り馬を与え持ち上げる。競馬ファン競馬ファンで「天才」などと呼びちやほやする。マヌケにそんなことを言っていたら浮かれて勘違いするのは当然だろう。ある意味被害者なのかもしれない。

 

と環境の悪さも原因として指摘してみたが、実際のところ当人の致命的な頭の悪さは否定できない。割と言及されていることだが、情報商材屋と絡んでYouTubeに出演したのは悪手もいいとこ。騎手が絡んではいけない人間なのはどう考えたって明らかだ。

 

なぜその情報商材屋がダメなのか。彼が自分と同い年だと知って興味を持ちいろいろ調べてみたが、経歴云々を置いといて気になったのが、あたかも凄く見える中身のない数字を強調して自分を大きく見せている点。これは胡散臭いやつの常套手段で、バカを一網打尽にする最高の作戦だ。瀧川寿希也もその撒き餌に飛びついてきた一人と言える。

 

 

これなんかはわかりやすい。7000万円の粗利スゲーじゃんと一瞬思うけど、業界・業態・年間売り上げ・会社の規模など諸々がわからないと素直に評価できるわけがない、というのは経営者じゃなくてもわかるはずだ。利益率8割の業界と利益率3割の業界では7000万の重みが違ってくる。「俺は某企業を単年の粗利7000万まで引き上げましたよ」って言われて、「よっしゃ君を信じよう!」と言ってしまう経営者がいるとしたら、コンサルを任せる云々の前に倒産してしまっているだろう。

 

もちろん本当にコンサルをやっているならこんな売り込み方はしないと思うが、少なくとも瀧川はこの程度の文句でへこへこついていくような人間でそこが問題だ。こんな井の中の蛙バカには、一度トラック運転手をさせて死ぬ思いをしてから煮るなり焼くなりするのが一番。いずれにせよ騎手は一生しないでいただきたい。

規律があるから自由が生まれる

今日は竹鶴の純米にごりを仕入れてきて飲みました。燗酒は55℃の「とびきり燗」が最高温度として周知されていますが、この枠組みにとらわれずに色々試したいな思わせる酒です。70℃くらいまで上げても普通に美味しい。アルコールは78℃が沸点なので、70℃というのはアルコールが飛んでしまうギリギリの温度です。上げすぎるとギスギスした感じになってしまう酒が往々にしてありますが、この酒はそういったこともありません。すごい酒だ。逆に中途半端に苦浮く感じで上げきった方が良いです。


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こんな美味しい酒が飲めるのも、自分の味覚が成熟していってるからこそだと思っています。これは「自分の舌が肥えている」と言っているわけではなく、シンプルに「高校生ではこの美味しさがわからない」というだけの話です。塩舐めたり出汁をすすりながら燗酒をちびりちびり…なんてのは完全に趣味の話なんで歳をとってもわからない人はわからないですが、子供の時に食べられなかった物が大人になってから口にしたらめちゃくちゃうまかった、なんてことよくありませんか?ホヤ、塩辛、レバー、ふきのとう…etc.その手の食べ物ぱっと考えただけでもたくさんあります。年相応に良い物は理解できるようになります。

 

よく高校生がイキりたいためだけに酒飲みたがりますよね。勝手に飲んでもらって構わないけど、飲酒という行為に「大人」を見出しているはずのその行動、逆に幼稚に見えることが多く見受けられます。これを飛躍させると、「高校生は酒を飲めない」という社会規範はなぜ存在するのかという話になります。結論から言うと必要な時に最大限に楽しむためだと思うのです。高校生がマクドでポテト・コーラを食べながらおしゃべりするのと、居酒屋でリーマンが枝豆・ビールを食べながらおしゃべりするの、延長線上にはあるけど趣がまったく違います。酒は高校生に必要がないから飲まなくていいんです。

 

そういった規範を「大人が決めたつまらない枠組みだ、自由にさせろ」と断じるケースがありますが、ルールがあるから自由が引き立つのではないか、そう思うわけです。北斗の拳ラオウは、核戦争後の無法状態である世界を暴力と恐怖で支配していました。ある意味何をしても自由な世界ですが、規律がないから大部分の民衆に自由はないんですよね。ラオウはこの統治に限界を感じて愛を持つケンシロウに倒される道を敢えて選ぶわけです。見せかけの自由に本当の自由は生まれない、武論尊先生はそんなことを言いたかったんじゃないですかね。拡大解釈かもしれません。

 

竹鶴から話が随分と飛躍してしまいましたが、北斗の拳を久々に見たらやっぱり面白すぎてネタにしたかったので無理やり繋げてみました。

 

「JRAのCM正直なんでもいい説」と語彙力がほしい話

今日は特定の話題についてではなく、最近思ったことをつらつらと書いていきます。

 

最近TwitterのTLを確認することがめっきり減りましたが、極稀にアプリを開くと3億年前から議論されているデジャヴな内容で盛り上がる様子を見ることがあります。その中で僕の目を引いたのはJRAのCM議論。ラッタッタとTHE LEGENDのどちらが良いかを熱く語り合う謎定期です。ちなみに僕はTHE LEGEND派です。

 

ラッタッタ放送開始直後は圧倒的クソ評価で「博報堂氏ね」なんて言われていた気がしますが、最近は評価する流れが主流みたいですね。ちょっとびっくりしましたが、その論旨としては「ラッタッタでは新規ファンを獲得できるけどTHE LEGENDでは無理。現に新規増えているし」「既存競馬ファンを満足させるだけの生産性のないCMを流す意味がないだろ」という感じ。まあ百理ありますな、という所感ではあるけど、本当にラッタッタで新規ファンが増えているかなんてわからないですよね。言いたいことはわかるけど。

 

そもそもTHE LEGENDで新規ファンが増えなかったのかすらわからないですし、実証できない肌感統計に意味なんかあるのでしょうか。「でも当時より今の方が馬券の売り上げ増えているよね」と言われそうですが、それもラッタッタが要因なんて言えませんよね。今はスマホがめっちゃ普及してディズニーランドでも馬券を買えるくらい馬券購入が手軽になったわけです。あとキタサンブラックとか話題性のあるスターホースも登場したし、UMAJOスポットなんかもこの数年でできています。売り上げや新規ファンが増える要因、考えれば考えるほど出てきますね。

 

何が言いたいかというと、この手のCMの良し悪しをそこで語るべきではないんじゃないかなと思うんです。そもそもラッタッタとTHE LEGENDどちらが良いかなんていう議論自体不毛であることに最近気づきましたが、極論言うと武豊ルメールがしょうもない漫才しているだけのCMを垂れ流しても新規ファンは増える気がします。競馬その物のコンテンツ力がでかすぎますから。THE LEGEND見ながらせんずりこいてもいいじゃないですか。土屋太鳳見ながらせんずりこいてもいいじゃないですか。オカズは人それぞれですよ。…議論の始まりが僕だけズレていたみたいなのでこの話題はここで終わりますね。

 

話変わって語彙力ほしいなあって。まあそれ以上でもそれ以下でもございませんが。僕高校1年の時、暇すぎて(勉強しろ)小説を書こうと思ったんですけど、実際書こうと思うとまったく筆が進まないんですよね。ストーリーは決まっているのだけれど筆が進まない、これは語彙力の不足が原因に他ならないです。売れている小説を見れば一目瞭然ですが、作家の人たちは1つのニュアンスにつき100個ぐらい言葉の引きだしを持っています。大袈裟じゃなく。

 

例えば「今日は不安で死にたくなった。不安である理由は~~~だ。不安な僕は一人不安を押し殺し、不安な日々をこれから過ごしていくのだ。」みたいな1節があったら「不安」という言葉にすべて違う表現を用いるんですよね。そもそも文才がある人はこんな文章構成にしませんが、要するにそういうことです。僕はこれが原因で挫折しました。

 

このブログを書いているときも、1回1回違う表現を使うことに気を付けていますが難しいですよね。語彙力は自然に身に着くものではないので勉強するしかないです。

 

ということでまとまりの話題でしたが今日はこれで終わります。「たっぽい!たっぽい!たっぽい!たっぽい!」でおなじみのTOM★CAT「TOUGH BOY」を聴きながらお送りしました。駄文をご拝読いただきありがとうございました。

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飲んだ酒備忘録① 奥播磨<山廃純米 山田錦八割磨き>

ブログネタがないときに無理やり暗い話題を書いてもしょうがないので、飲んだ酒の感想をまとめていきたいと思います。

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今日は奥播磨の山廃純米を飲んだ。というか今日で1升瓶を完飲しました。結論から言うとやっぱりうめえ、うますぎますね。故・上原浩先生が「酒は純米酒、燗ならなお良し」という1億年後も語り継がれるであろう名言を残しましたが、それがよくわかる酒です。f:id:anadaisei0609:20190309223223j:image

僕は1升瓶を仕入れてくると、その日にまず2合ほど飲みます。常温で味を見てから1合をぬる燗(45℃以内くらい)、もう1合はとびきり燗(55℃前後)まで上げて飲みます。それには理由があって、酒に含まれる有機酸成分のコハク酸・乳酸・リンゴ酸はどれも40℃前後がもっともおいしい温度帯とされていて、燗上がりする酒でこの温度帯で飲んでハズすことはまずないです。安牌な飲み方ということです。なのでまずはそこで基礎部分を味わいます。

 

そうすると段々他の温度帯を試してみたくなります。55℃くらいまで燗つけるとアルコール臭が立ったり酸味にトゲが出てくる酒というのが往々にしてありますが、「燗ならなお良し」と言わしめる酒はそのラインまで温めても味が崩れません。「この酒はどうかな…」とニヤニヤしながら試すわけです。変態でしょ。

 

奥播磨は燗酒クラスタの間ではレアルマドリードのマルセロ的存在で、燗酒ベストイレブンを組んだらまずスタメン入りする銘柄です。なのでおいしいのはわかり切ってたんですけどやはり旨かった。55℃から燗冷ましするに連れて浮いてくる酸味もまた心地よし。言うことなしだなあとなるけど飽くなき探究心は尽きることがありません。次は開栓後の日数経過による味の変化に興味が移ります。最初に2合飲むと書きましたが、1週間ごとに2合ちょっとずつ飲み、約1か月かけて飲み干します。もちろん同じように温度帯の強弱をつけていきます。

 

奥播磨は結論から言うと最終週である今日が一番うまかった気がします。薄っぺらい酒は開栓後すぐに酸化等で生じるオフフレーバーを感じますが、この手の酒はそれがないんですよね。まあ熟成酒なんでもともと老香はしますがそれも心地良いですし。

 

今日は自宅で採れたふきのとうの天ぷらと豚汁を肴にすすりましたが、ほのかな苦みとの相性も抜群でしたね。奥播磨自体、コクを生んでいる良い意味での苦渋がしっかり表れている酒なので、それで相性よく感じた部分もあるかもしれません。うまい酒でした。次は何買おう。


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「がんばる」という迷惑界No.1ワード

最近他人に「頑張れ」と言ったことに対して酷く後ろめたさを感じた。自分自身「頑張る」という言葉がとても嫌い、というか他人から言われるのがとても不快に感じる。自分を奮い立たせるために「頑張ろう」と思うのは良いけど、他人から「頑張れ」と言われると「なんでお前に言われなあかんねん」と思ってしまう。僕の醜悪な性格が滲み出ている。そんなだから自分が他人に対して「頑張れ」と言ってしまったことが許せなかった。だが困ったことに、「頑張れ」を言ってしまう場面に限ってそれ以外に適切な言葉が見つからない。関西人なら「気張りや~」などで回避できるのだろうか。残念ながら標準語はその手の言葉の多様性が皆無だ。

 

日本に住んでいると「頑張れ!」とか「ファイト!」の類の言葉を、幼少期から頭がおかしくなるくらい聞かされる。小学校中学年くらいになると学級目標に「顔晴る(がんばる)」などという謎標語が登場し、クラスに笑いが絶えなくなる。率先して笑っていたやつはどこかしらの宗教法人に入会していると確信しているが、「頑張れ」という無責任ワードと笑顔を強制をする言葉のダブルミーニングに鳥肌が立つ。頑張らなくていいし無愛想でいい。なにがダイバーシティや。

 

頑張らないと尻を叩かれるこの世の中。狭い道路を走行する自転車のおばあちゃんすら、自動車のスピードに対抗しようと頑張って漕いでいる。邪魔すぎてたまらない。「そんなところで頑張らなくていいから!」と声が出るクラクションが欲しくなる。

 

僕の仕事のモットーは「サボって結果を出す」だ。と言っても本当にサボっているわけではなく、その本質は相対的に仕事してないように見えても結果を残すという部分にある。頑張ってる風の無能が一番嫌いだから、そうなりたくないという逆説的モットーではあるが、実際めちゃくちゃ要領よく仕事をこなさないといけないのでかなり難しいことであるのは確かだ。頑張ってるように見える無能は、周りから見える部分しか手を加えないから一見成果を上げているように見えるけど、将来的な伸びしろの種を撒いていないタイプが多い。あと過程ばかり気にして肝心の結果を残していない人も多い。ノートだけやたらキレイにまとめている友達はいなかっただろうか。

 

僕の大学の時の知人にまさにそういうタイプがいた。第2外国語の授業で知り合って、他の講義で一緒になることが多かったのでプリント類の確保をお願いしていた人物だ。何回かブログやTwitterで話題にしている気がするけど、彼はさぼらず講義を出ているのに、毎回点数が僕より悪かった。家事をするために朝5時に起きて、講義中疲れて居眠りするような人で、とにかくやっていることがちぐはぐ。壁が薄いことで有名なレオパレスに「家具付きかつ有名だから」というだけで入居し、隣人の生活音で眠れない日々が続いたらしい。

 

「とにかく全力を尽くしてがんばろう」みたいな教育は、真面目な人間を不器用にしてしまうと感じる。僕みたいな不真面目な人間が得をしてしまうのは不条理なので、精神論で乗り切ろうとする悪しき慣習は根絶やしにしなければならない。本当にサボってるだけの穀潰しは論外なので、本当に根絶やしにしなければならないが。