NHK見てたらオノヨーコがなんか良いこと言ってた(便所の落書き)

オノヨーコがなんか良いこと言ってた。すっごいうろ覚えだけどめっちゃ良いこと言ってました。

「悪いことが本当は良いことかもしれないって思うようにしてる」

たしかこんな感じの内容だったと思うんだけどめっちゃ心にしみる。さすがジョンレノンと結婚した女だなと思った。

 

めっちゃ渾身のツイートが滑ったとき。「実は滑っていない」と思うのは現実逃避かもしれないけど、「めっちゃ滑ったけどインプレッションは多かったしいいや」と思うのは現実逃避ではない。悪い要素に目をつぶって実際とは違うことを落としどころにするのは現実逃避だけど、良い要素を見つけてプラスに考えるのはむしろ健全な思考回路だと思う。だからインプレッションが多かった、つまり多くの人に見てもらったことをプラスに捉えればいい。恥を大衆に晒しただけかもしれないけど。

 

女の子に振られたとき。「いや、本当はあの子俺のこと好きなんだけど、シャイだから断られただけ」。これは現実逃避意外の何物でもないけど、「あの子と僕は元から結ばれない運命なんだ。今後最高の女の子に出会うために今回は振られて正解だった」。これはその通りかもしれないので良いと思う。一生最高の女の子なんか現れないかもしれないけど。

 

めっちゃ競馬で負けたとき。「いや、あの馬が来てたら当たってたし実質当たってるよね」。これは完全な現実逃避。タラレバ親父も真っ青。だけど「惜しい内容だった。簡単に当たるわけがないんだしこれ外したくらいならなんともないよ」なら冷静に現状分析できてるし現実逃避にはならない。一生当たらないかもしれないけど。

 

いじめられたとき。「あいつら本当低レベルだし僕がいじめられてることがおかしい。こんなところをやめたらいじめられないよ」。これすごくシビアだ。本当に低レベルな人間かもしれない、ていうかいじめ自体低レベルな事なんだけど、いじめって絶対なにか原因がある。例えばアトピーが原因でいじめられている人いるけど逆にいじめられていない人もいる。正直言うといじめられている人とそうでない人の違いは性格の差だと思う。そうだと言い切れる。もちろん理不尽ないじめは世の中にたくさんあるけど、そこから脱却するにはその集団から抜けることではない。根本的な解決方法は自分を変えること。

 

つまり何が言いたいかというと、自己分析・現状分析ができないと物事の表面しか汲み取れない。だからその状況にそのまま左右されてしまう。流れを変えるにはしっかり起きていることを理解することが必要だ。変に自信を持ち続けたら永遠に滑るし負けるしモテないしいじめられる。根拠ある自信ならその流れを変えられるかもしれない。

 

ぼくも自己分析をしっかりして年間収支+200万を実現。そして尻突き出して走ってくるまゆゆを出会って5秒で後ろからはめて見せます。

メロスが激怒していない世界

メロスは激怒しませんでした。いい年して笛を吹いて羊と遊んでるような、政治もわからないゴミなのでしょうがないですね。いや、まあ人一倍邪悪には敏感なんでワンチャンありましたよ。だけど政治わからないしいくら王様が暴君と言っても短刀持って城に乗り込むほど男気ねーよ?なんなら羊ってセフレの隠語だからね?笛吹いてるも隠語だよ?竹馬の友・セリヌンティウスもあれ竹馬の友じゃなくて乳首の友だから。残念でした。さらばじゃ(笑)

 

 

僕はよく物語を読むとき違う世界線を想像する。現実で起こっている事柄でも違う世界線を想像する。先述した走れメロスはしょうもない一例だが、こういうこと考えるのすごく楽しい。なんならその方が幸せな世界じゃないの?と思うし実際のシナリオより辻褄があったりするから面白い。国語の授業の時間は先生の話を聞かず、もっぱらこんなくだらないことばかりしていた。

 

ただ現実で起こっている事柄で同じことをすると、ロマンあるなあと思う反面、所詮タラレバの域を脱していないなあという点に収束してしまう残念感がある。競馬なんて特にそうで、勝春があそこでうまく捌いていれば、吉田豊があそこで詰まってなければなんて言ってもただの負け惜しみにしか聞こえない。残念ながら。

 

たまに自分の人生を振り返って「あの時あーしてればよかったな」と後悔し、違う世界線を想像することがある。僕の小中学生時代の母校はめちゃくちゃ頭がよくて、東大に入った友達が何人もいるし、旧帝大の医学部に入った友達が何人もいる。自分はある意味浮いてたけど、それでバカにされることはなかったし、何ならそういうキャラとしてみんなが受け入れてくれた。良いやつらばかりだった。ただ先生たちは僕が宿題をしなかったりまったくテストにやる気がないのを見てかなりしばき倒してきた。国語だけは得意で周りのエリートに勝つことがしばしばあったのでどや顔して鼻を伸ばしていたが、その度に音速でへし折りに飛んできた。当時はもちろんうぜーなとしか思わなかったが、もしあの時先生の言うことを聞いて勉強したらまた違う人生があったんだろうなあと今は思う。それが良い人生なのか悪い人生なのかはわからないが。

 

だけどそういった想像をしたあとは必ず「今の自分でよかったな」という結論で不思議と収まってしまう。違う世界線の自分が、違う過程を歩んで最終的に今の自分と同じ職業に就いた場合、必ずしもそれがプラスに作用したとは言えない気がするからだ。自分の人格は今までにいろんな失敗をして、それから学んで形成されたものだ。違う世界線の自分を想像するときって、大抵なにかネガティブなことが起きたときだと思うんだけど、それらが一切ない順風満帆な人生ってなんだか逆に怖い。最後の最後にめちゃくちゃ大きな失敗をしてそれが台無しになってしまいそうで怖い。だから今の自分を形成した過去を否定するのはなんか違う気がする。自分に自信を持て。持てないやつは今が失敗なんだからちょっと風向きが変わるようにがんばれ。それすらしなかったらなにも変わらない。

 

とりあえず高島礼子に筆おろししてもらいたい人生だった。

「乳首なめてよ」と聞いてみた結果www(※乳首について語ってます※)

先日某フォロワーさんに彼女ができたらしい。とてもいいことである。しかも付き合ってから一度も馬券で負けていないらしい。すごすぎるし羨ましい。アゲマンってしゅごい。素直に祝福したい。

 

彼女と最初に会ったときホテルに行ったらしい。一緒にベッドで寝てキスをしたらしい。「乳首なめてよ」と言ったら断られたらしい。そんなおかしな話はないだろうと思った。男とホテルに行ってベッドに寝てセックス以外の選択肢があるだろうか。付き合って何年も経つカップルがホテルに行ってDVDばかり見て暇つぶしをするのはよくあることだ。しかし初回デートでホテルに行ってセックスをしないとは如何なものか。温泉に行ったのに部屋風呂しか入らないくらい意味がわからない。うなぎ屋に行ってうなぎのタレだけかけたごはんしか食べないくらい意味がわからない。

 

しかし2回目のデートで思い切って告白したあとに「乳首なめてよ」と聞いたらなめてくれたらしい。この話を聞いたとき乳首に対する知的探求心が泉のごとく湧いた。交際関係にならないと乳首をなめてくれないというその一線が僕には理解できなかったから。

 

とはいえ乳首はパンドラの箱的な神秘性があるのも事実だ。オナニーを覚えたての中学生は乳首という物に慣れていないので、乳首丸出しのおっぱいに異常なまでの信仰を見せる。僕も中学生の頃は親に隠れて特命係長只野仁の乳首が出てるシーンをこっそり見て粗末なちんぽをびんびんにしていたものだ。yourfilehost、カリビアンドットコムで必死に乳首を見ていたものだ。ただ今の僕は違う。AV女優よりグラビアアイドルにエロを感じる。素っ裸でセックスしてるAVより着衣セックスしてるAVのほうがエロを感じる。ニット生地をノーブラで着て乳首が浮き出てるやつなんてすごくいい。乳首だけ☆とか♡のシールで隠してるやつなんかもすごく好き。中身が見えないわくわく感、小学生のガチャガチャとかカードを買ったときのわくわく感に似てる。高崎聖子がAVデビューしたけどがっかり乳首すぎて萎えてしまった。やっぱり乳首がわからなかったときのほうがビンビンポイントは高めだった。

 

そういえば最近テレビで乳首を見なくなった。どうやら法規制が厳しくなったらしい。今の中学生たちは深夜番組で乳首を見るというわくわく感を味わえない。とてもかわいそうだ。我慢できなくなってネットでエロ動画を調べてワンクリック詐欺に引っかかったらかわいそうなどといらない心配をしている。でもこの前久しぶりにテレビで乳首を見た。アフリカの原住民族の乳首だ。なぜあの女性たちの乳首は映していいのだろうか。日本在住のアフリカ人は普通に興奮してしまうでしょ。人種差別として厳重に抗議しておく。

 

そんな乳首を女の子たちはどう思っているのだろうか。やっぱり乳首をなめるという行為は神聖なものと感じているのだろうか。あくまでも男目線の乳首像しかわからないので、女目線の乳首像は全く想像もできない。男ぐらい乳首を神秘的なものとして見ているなら付き合うまで乳首をなめないというポリシーも納得できる。自分にとって永遠のテーマとなる予感がするがとりあえず僕も乳首なめてほしいので乳首なめフレンド募集しています。

 

※初デートはホテルじゃなく自宅だったとご本人から訂正がありましたので補足しておきます。

「社会人は大変だよ~」とか脅してくる大人たちへ

3月に大学を卒業し4月から社会人になった。早くも社会人生活が5か月目に突入しようとしている。学生時代には「社会人は大変だ」「今のうちに遊んでおけ」「自分の時間を持てるのは今だけだぞ」「大学は人生の夏休み」など、大人たちの悲鳴にも似た脅しをよく耳にしたものだが、社会人5か月目の所感としてはそんなことは微塵も感じていない。

 

僕は雇用形態上は会社員であるが、実際のところは実家の家業を手伝うため(跡継ぎに兄がいるのでここでは継ぐという表現は用いない)に戻ってきた。家族と働くという居心地の良さはもちろんあるが、はっきり言ってメリットはそれしかない。休みを返上して働かされるし退職という逃げ道も実質ないし仮にやめたとしても退職金は支払われない。地方都市の中小企業に過ぎないので、学生時代の就職活動で内定をもらった某人材・広告系企業や飲料メーカーのほうがはるかに待遇はよかっただろう。給料も少ない。まあそれでもやりがいを感じて戻ってきたし、実際に今はやりがいを感じて仕事をしているからそれでいい。

 

ただ一つどうしてもストレスを感じるのが会社の先輩・上司の愚痴を聞かされることだ。自分で言うのはあれだが、Twitter上の攻撃的な姿とは反してリアルの僕は見た目的にも言動的にも人当たりがいいので、遠慮なく経営陣の悪口を僕の前で話すし直接言ってくる。経営陣とは詰まるところ実の父親と兄なので、毎日家族の悪口を聞かされるのだ。もちろん家族のことは好きなので、我慢してニコニコしながら話を聞くのは正直しんどい。「お前ら本当にアホだなあ」「気楽やなあ」「死ねば?」などの言葉をぐっと飲みこんでニコニコ聞いてるのはほんときつい。だけど真っ当なことを言ってることもあるし、僕はこれから下と上をつなぐ中間管理職にならないといけない人間なので、それをしっかり聞いて還元する必要がある。これも自らの職務だ。

 

だがそういう人たちを見てると「社会人は大変だよ~」と脅してきた大人たちを毎回思い出してしまう。自分の無能さが招いている事態を「社会人は大変」という言葉を盾にてやり過ごす、そんな感じ。後ろからスガシカオの「Progress」が聞こえてきそうな、それをバックに深夜の自販機に寄りかかりながら微糖のエメマンを飲んでそうな、そんな感じ。お前らは「社会人」という立場に依存しすぎなんだ。ただの「人間」として見たらお前らはただクズだ。そう言いたい。

 

決して社会人は大変ではない。中学生>高校生>小学生>社会人>大学生>幼稚園児、これぐらい余裕だと思う。結局幼稚園児の次にぬるゲーな大学生活を直前に経験してるから大変に感じるだけだと思う。自分の裁量で動けるし宿題・受験勉強のほうが日々の仕事よりよっぽど大変だと思う。だから「社会人は大変」なんて恥ずかしいこと口が裂けても言わないでほしい。自分で無能アピールしてるだけだから。

 

結論を言うとニートは働いたほうがいいと思います。

2ちゃんねるもTwitterもめっちゃやった俺だからわかること

暇さえあればTwitterを見て、競馬クラスタとしょうもないやり取りをして、たまにオフ会で交流。もはやTwitterが生活の一部に溶け込んでいる。しかし僕にはその前に2chをめちゃくちゃやってる時代があった。2chを「やってる」という表現に違和感があるが、一般的に2ch、あるいはまとめサイトをただ見ている人が大多数で、実際にスレを立てたり書き込んでいる人はごく少数だろう。だから2chを「見る」という表現が一番自然だと考えるが、自分の場合はスレを立てたり書き込む側の人間だったので「やってる」という表現を用いた。

僕がやってた時の2chは今とは比べ物にならないくらい書き込みが多かった。当時中3だったので2009年くらいだと思うが、とにかく酷かったし面白かった。ネット用語の誕生にも立ち会ったことがあったし、今も続く炎上騒動を目撃しその騒ぎに加わったこともあった。しょうもない便所の落書きに天才を見たこともあった。今でいうゆゆうたみたいな才能の無駄遣いを感じさせる笑いがその時好きになった。才能あふれる人間がそれをひけらかすのは簡単だが、自虐的な笑いに能力を使うその才能がすごいと思った。共通の趣味を通じて遠慮なく汚い言葉で交流しあう時間が好きだった。今のTwitterでの僕の姿は当時にルーツがあると言って間違いない。

しかしそんな2chをいつしかあまり見なくなった。面白いコンテンツにはその輪に入りたいと新しい者が次々と参入する。そしてそれらが大多数になっていき、面白かったものがどんどん改悪されていく。「オワコン化」の1つの流れかもしれないが、僕はこれが原因で嫌いになった。VIP、なんJ、それに付随するあらゆるコンテンツがつまらなくなってしまった。陳腐化というのは便所の落書きにも起こりうることを身をもって体感した。

そういった経緯で次にTwitterを始めた。2ch時代は正直Twitterなんてクソと思っていたがやってみると意外と面白かった。Twitter2chでいうクソ͡コテだらけで、自己顕示欲の高さが新鮮で面白かった。2chは一期一会的な面があるけど、Twitterは特定の人と親交を深められるのでそれに良さを感じた。まさかオフ会をするとは思わなかった。

しかしよくTwitterで言われてる、「俺たちはネラーより民度が高い」的な要素は露ほども感じていない。誰かがいいねしてるからいいねする、誰かがフォローしてるからフォローする、誰かがツイートしてるから自分も同じようなツイートをする。なにかの信号で操作されているような、中身のないゾンビに見えることがある。オフ会で実際に話して人間性に幻滅したこともある。仲良くしてるとはいえネット上の付き合い。腹の底ではそんなこと思ってたんだなと恐ろしくなった。

 

基本的にどちらの媒体も好きなことを書いてつぶやけばいいし、各々の主観に他者が介入する余地はないと思っている。ただTwitterは人間関係という要素が多かれ少なかれ付きまとう。それをどうでもいいとするかしないか。僕は正直周りを気にしないで便所の落書きを続けたい。しかし冗談が通じない人もいて難しさを感じる。なにが正解なのかは判断できないが、とりあえず自分の主張を大事にしてほしい。それに賛同する人がフォロワーとして集まってくる。その人たちと交流するのが本来の使い方であるのだからそれでいい。ただオフ会で同じことやってるとダメかもしれませんよ。僕が最終的に言いたいのはそれだけです。

競馬をやめる方法を真剣に考えてみた

1.はじめに

私は競馬を趣味にしている。競馬は世間一般が考えているよりとても奥深いもので、様々な事柄を包括的に捉え、論証に矛盾がないかを確認しながら、自分の予想として成立させていかなければならない。ただその予想はあくまでも自分だけのもので、他の競馬ファンも同じように自分だけの予想を矛盾のない形で作り上げている。しかもその予想はレースの結果が出るまで正解がわからず、またその答えを導くための方程式は幾通りもある。そんな競馬の奥深さに憑りつかれた私は、毎週末の中央競馬を励みに1週間の生活を耐え抜いている。

しかしここ数週間はその気持ちに迷いが生じている。毎週末、日本中央競馬会に何万という大金を振り込み続けることが、風俗狂いの非モテ男子とどう違うのか。このお金があれば毎週小旅行に行けるのに。このお金があれば任天堂の新作ハードが買えるのに。このお金があれば軽い親孝行ができるのに。このお金を1年貯金しつづければ新車を購入できるのに。そもそも彼女作ってデートしたほうが健全じゃね?ていうか彼女ほしくね?

 

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こういった疑問はあげればキリがない。それらが私を惑わせ、結果的に毎週末の「競馬引退宣言」につながっている。そんな気持ちを吹き飛ばすためには競馬をやめるしかないので、やめる方法を真面目に考えることにした次第である。

 

2.方法

今回は方法→それに対する意見という順番の、問答法形式で進めていくこととする。

 

・「競馬をやめる」という断固たる決意をもってやめる

→一番単純ではあるが、そんなことでやめることができたらとっくに引退してるし、「東大を卒業して官僚になる」という断固たる決意をもつことで今の自分は存在していない。不採用。

・週末になると体を縛ってもらう

→物理的に一番単純である。手足を縛るだけでも良し。亀甲縛りで猿轡を加えるのも良し。前日発売が始まる金曜日の19時以降に、専門業者や家族に縛ってもらうのだ。しかしそれに伴って生活に支障が出てしまう。本末転倒である。そして体を縛ってまで競馬をやめようとする息子を見て両親はなにを思うか。おそらく血の涙をも超える何かが体から噴射されるだろう。不採用。

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・銀行口座を凍結する

→どうせまた作る。不採用。

・彼女を作る

→これが回りの非競馬民からもよく提唱されるオーソドックスな意見だ。彼女ができれば競馬以外の支出が増えるため馬券にお金を使えない。両者がもし結婚願望もっていて将来を見据えたとき、 貯金しなければならないという危機感が芽生え、自然と競馬から距離を置くことができる。などといった理由から述べられる意見だが、競馬好きの彼女を求めていれば通じないし、そもそも自分のお金を彼女がいるせいで好きなように使えないという不条理な現実は、日本中央競馬会に毎週何万と振り込む生活よりストレスが生じるだろう。かえって精神衛生上よくないのは自明。不採用。

・ほかの趣味を見つける

→「彼女を作る」と目的はほぼ同じだが、正直レースを見れて、予想を楽しむことができて、それらを楽しむために払ったお金がもしかすると倍以上になって戻ってくる可能性がある趣味なんてほかにあるだろうか。実はコスパ最強の趣味が競馬なのである。よって他の趣味を見つけるのは以ての外。不採用。

・死ぬ

→筆者が自身のTwitterでつぶやいた替え歌が以下の通りである。

誰しもが経験したと思うが、競馬に限らずギャンブルで収支帳を開いてマイナス値を目の当たりにしたとき、人はなんだか死にたくなることがある。死んでしまえば楽だからだが、こんなことで死を選ぶのは当然間違っている。そしてこの程度で死ぬ奴はとっくの昔に死んでいる。不採用。

 

3.結論

もっと細かくあげれば倍以上の方法を思いついたが、結局どれも決め手にかける印象だ。自分の思いつく限りの方法すべてが、屁理屈なりなんなりで簡単に論破されてしまう現実に若干絶望しかけているが、ポジティブにとらえると競馬はそれほどまでに欠点がない最高の趣味なのだ。楽しみ方は実に多様で、楽しみ方次第でどうにでもなる。そう考えると自分次第でもあり、引退ではなく別の視点から楽しむという考え方が重要だ。

微妙に話が逸れるが、タイムラインで「人生は楽しまないと損」というツイートをよく見る。それに触発されて、私も最近その手のツイートをたまにするが、ここではそれが大事なのかもしれない。それは競馬で負けて大金を失った現実から目をそらすのではなく、この最高の趣味を継続するために、自分の器量でどのようにして付き合っていくかを考えるべきという意味だ。やめないといけない状況にならない限りやめる必要はないのである。

毎週のように競馬引退宣言をする生活を一刻も早く脱却するためには、やめる方法を考えるのではなくそういった物事の味方が必要なのかも知れない。最後にちょっといいことを言ってみた。

 

WINS梅田で出会った鬱陶しいおばちゃんの話

ゴールデンウイーク真っただ中の日本列島。行楽日和の日が続き、僕の地元でも県外ナンバーの車が目立つなど、各地で観光客があふれにぎわっているようです。

 

去年までは人生の夏休みと表現しても過言ではない大学生活を過ごしていたので、連休のありがたみなど感じたこともなかったです。特に自分は京都に住んでいたので、どこに行っても人だらけで逆に鬱陶しいぐらいに感じていました(笑)

しかし4月から社会人になってやっとこの休みのありがたみを感じています。有意義に使おうと思っていますが、結局競馬ばかりやって終わるんだろうなあとある意味達観した状態にあるのが現状です。

 

それでまあ去年の今頃なにやってたかなあなんて考えたりしてたんですけど、そういえば就活してました。ちょうど1つ目の内定をもらうかもらわないかぐらいの時期だったと思いますが、その就活のときのエピソードを今回ブログに書こうと思います。

 

当時の僕はスポーツ紙記者を第1志望にしていたので、手当たり次第にスポーツ紙の採用試験を受けていました。

 

その中の1つにスポーツ報知があったわけですが、1次(個人面接)→2次(筆記試験)→3次(集団面接・グループディスカッション)→4次(個人面接)・東京→最終面接・東京と、全部で5回ある試験のうち僕は4次選考まで進んで、3次までは大阪本社のある梅田まで京都から通っていました。その3回すべてで同じ男子就活生と試験時間が被って、待合室などで雑談しているうちにお互い競馬好きで下宿先が近いことがわかりすっかり意気投合。3次のあとにWINS梅田へ行くことになったんです。あれはオークスのあった日曜日のことでした。

 

お互いを「行けたっしょ!」「来週東京で会おうぜ!」「ダービー現地で見れるやん!」などと励まし合いながらWINS梅田に到着。PATで仕込んでいた馬券の結果を見つつ、ビッシュの取り捨て談義に花を咲かせていると後ろから気配が。

 

「あんたらこんなところでスーツ着てけったいやなあ!」

 

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そこには大阪特有の趣味の悪いヒョウ柄シャツを着た、ファンデーションで顔面真っ青のおばちゃんが立っていました。どちらがけったいやねん。

 

「就活の帰りなんですよ」と返すと「そおかあ!ごくろうさんやなあ!」と労いの言葉をかけられ、間髪いれず「君ら競馬詳しいんやろ!何番買えばいいか教えてや!うち競馬素人やからわからんねん!」と意味不明な質問。なんでWINSに一人で来てて競馬知らんのや。

 

すると僕の心中を察したのか、

 

「うちの孫がな、鉄緑会通っててん!洛南行ってて医学部目指してはるんよ、すごいやろ?」

「もうちょっとでそれが終わるからここで暇つぶししてんねんかあ」

「金だけはあるんや、この前なんてカジノで一晩で500万すったんやで」ガハハハッ

 

などといらない情報も含めていろいろ話してくれました。ちなみに鉄緑会は東大クラスの大学を目指す賢い子供たちが行く学習塾で、WINS梅田の隣にあります。

 

↓こういう位置関係

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まあおばちゃんが競馬素人だという理由がわかったところでどうでもいいんですが、「どこ受けてるんや?」「どこ住んでるんや?」などと根掘り葉掘り聞いてくるので、おばちゃんがいないときに「鬱陶しいおばはんやなあ」と二人で話す程度にはめんどくさかったです。これが噂にきく大阪のおばちゃんか。とんでもないモンスターだ。

 

オークスも終わり、取り捨てに散々悩んだあげく捨てたビッシュが来たことで馬券を外した僕たちはおばちゃんと一緒に打ちひしがれていたわけですが、おばちゃんが最後の質問を投げかけてきました。

 

「あんたら言葉が聞く限りこっちの子とちゃうやろ、どこ出身なんや?」

 

お前になんでそこまで話さなあかんのやと思っているともう1人が「ぼく石川っす!」。お前いいやつかよ、答えないとダメじゃん。

するとおばちゃんが「ちょっと待ってな!あんたは当ててみたい!」

 

お、なんか勝手にクイズ始めたぞ。まあ絶対当たらない。どうせ九州とか言い出すぞ。

 

「…あんた東北やろ?」

 

背筋に電撃が走った。そして僕の顔を見て「どうや?」とニヤッとするおばはんの顔をみてもう一度電撃が走る。

 

「よくわかりましたね!」と僕が面食らった表情で返すとおばちゃんは、

 

「だって顔白いもん」

 

なんやねんそれ。お前のほうがファンデーションのおかげですごいことになってるぞ。

おばちゃんは勝手にクイズを続ける。「ちょっと待ってな、県も当てるわ」

 

どうせわかりっこない。顔が白いというよくわからない質問で当てたんだ。どうせ東北でもない「新潟!」とか言ってバカ晒すだけだ。大阪人ならそれぐらいのオチを用意しているに違いない。

 

「岩手やろ」

 

思わず俺の額から汗が滴り落ちる。なぜわかったんだ。なぜ当ててしまうんだ。それでもお前大阪のおばちゃんか。

 

「なんでわかったんですか」

 

恐る恐る理由を聞く俺とどや顔のおばはん。それを呆然とした表情で眺める石川の彼。

横では最終レースにすべてをかけるねずみ色ジャンバーのおじちゃんたちの阿鼻叫喚が聞こえてくるが、俺の半径2mではもっと熱い勝負が行われている。さあ、おばちゃん!今度は納得のいく答えを返してくれ!

 

「うちも岩手出身だからなんとなくや」

 

鬱陶しい大阪のおばちゃんが実は同郷だったなんて世の中は狭いですね。(どういうオチだ)