漫田久子の備忘録

日常、競馬など

むかどんについての情報が錯綜している件

「駐車が下手くそ」で有名な赤ちゃんアフィリエイターのむかどん氏が、先日自らのTwitterアカウントにて近影を公開した。

 

これにより社会は大混乱。「赤ちゃんじゃないやん」「マックスむらい似じゃなかったの?」などと、ネット上では落胆の声が広がる。

 

私とむかどん氏は彼の地元しぞーかで、「絶頂アクメ!!アナルFUCKオフ会」を開催する仲であり、混乱を解消すべく彼に関する正しい情報を当ブログでまとめていく。

 

(この記事はサウナから配信しています)

 

①性別

この段階で間違った情報が広がっているが、実際は女の子である。得意料理はロールキャベツ。

 

②なぜむかどんなのか

本名である。

産婦人科の喫煙所でご両親が彼の写真をDQNに見せた所、「めっちゃ向井理じゃんwww⤴️⤴️⤴️」と褒められたという。

 

気をよくしたご両親は向井理をもじった名をつけようと考え、「向井」→「向丼」→「むかどん」。つまり「向 丼(むか どん)」が彼の本名となる。

 

③マックスむらい似について

似ているとかではなくマックスむらいである。AppBankを創業し数年前になんだかヤバくなったのもむかどん当人である。

 

闇金ウシジマくん

一部では闇金ウシジマくん説も出ているようだが、丑嶋についてはむかどんがモデルであることが確定している。

鰐戸三兄弟のモデルは神原三兄弟という実在したガチでやべーやつらであると広く知られているが、この事実についてはあまり知られていない。

 

実写版丑嶋役の山田孝之はむかどんのTwitterアカウントを見ながら役作りのイメージを膨らませたという。

 

⑤あの写真は本物なのか

「めっちゃ向井理闇金ウシジマくんのモデルになった得意料理ロールキャベツの女の子・マックスむらい」が彼の正体なので、無論あの写真は偽物である。アイコラと推定される。

 

 

いかがだっただろう。混乱に光は射しただろうか?

 

この社会では情報の取り捨てが生死をわけると言っても過言ではない。彼があの写真を自分と偽ってあげた意味とは。私たちへなにか警鐘を鳴らしたような気がしてならない。

 

ところで取り捨てと言えば「漫田フォーム」をご存知??このフォームは三連単を最小6点まで絞り高い配当を狙う馬券フォームだ。精度の高い取り捨てを習得し、馬券巧者に一歩二歩近づいていこう!!

 

https://note.mu/anadaisei0402/n/nd478c76ee0b4

 

馬券のプラス収支は負けの逆算である

このブログを読んでいる人のうち、馬券で負けている人がどれくらいいるだろうか。情報筋に話を聞くと、Twitterで的中自慢する人のほとんどが年間はマイナス収支で、実際に勝っている人はほとんどいないらしい。僕は勝っているのでそんな人たちが愛おしくて仕方ない。

 

「本当に勝ちたいなら承認欲求を満たしている場合じゃないだろ!!勝つための研究をしろ!!」

 

競馬で勝つためにはどうすればいいだろう?と、ひたすら考えていた時期がある。大学4回生らへんだったと思う。まあ考えたところでWINSにいるそこらへんのおっさんが20代の頃思いついたであろう、しょうもない答えしか出てこない。

 

当時は初対面の人と飲みに行く機会が多かったが、お互いのことをなにも知らない相手と話す時は決まって、「趣味は?」みたいなありきたりな質問からスタートする。読書・旅行なんていう意識高い系嘘をついても仕方がないし、毎回「酒、競馬」と答えていた。女性には当然ウケの悪い回答のようで、決まって片っぽの口角だけ上がるような笑い方をされた。それを見て「くだらねえ…」とつぶやき、懐からわかばを取り出し咥えるワイ…(※実際はタバコなんて吸わないし「くだらねえ」とも言わないけど、こういう瞬間は毎回喫煙者に憧れた、という表現技法です)

 

そんな時同席していたおっさんの口から放たれたある一言が僕にヒントを与えた。

「競馬なんて負けるんだからやらん方がええ」

たしかにその時僕はマイナス収支だったのでぐうの音も出なかったわけだが、ここで初めて「なぜ競馬は負けるのか」ということを考えるようになった。そこからは割ととんとん拍子だったように思う。

 

まず大衆心理として「競馬は負ける=だけどなにがなんでも勝ちたい」という力が働くことに気づいた。前から単勝1.1倍のような馬券にぶっこむ人がいる現象を不思議に思っていたが、手堅い馬券を当ててなんとか勝とうとしているのか。なるほど、当たり前だな。

 

そうすると手堅い馬券の効率問題が浮上する。手堅い馬券を買うことが本当に勝ちへの近道なのか?いやそんなはずがない。仮に1.1倍の馬券を同一レートで買い続けたら、10回買って10回的中しないと倍にならないじゃないか。効率が悪すぎる。なるほど、当たり前だな。

 

ということは1回の勝ち幅が大きい方が効率いいのか。これは間違いないな。

ここで初めて競馬で勝つために重要な思考へとたどり着いた。

 

「馬券は負けられる回数を増やすこと」

 

勝ちへの執着が強く、手堅い馬券しか買えない人にとっては想像もつかない考え方だと思う。「競馬は負ける」というおっさんの言葉はまさに真理であり、これは覆りようのない事実なのだ。だったら弱みを強みに変えてしまおう。それだけの話だ。

 

この話を理解するために、この記事を読んでいるみなさんには、ぜひ自分の馬券の分析をしてほしい。どんな馬券の買い方をしている人にも通じる概念だから、決して損はないはずだ。

 

まず見てほしいのが自分の的中馬券の平均配当と平均購入金額。広義的な意味での合成オッズである。例えば平均1000円の購入金額で平均10000円の配当だったら、合成オッズは10倍となる。ということはこの人が年間収支をプラスに持っていくためには、11%以上の的中率が必要であり、1回的中するごとに9回まで負けられる馬券を買い続ける必要がある。

 

もう1つ例をあげよう。平均6000円の購入金額で平均30000円の配当だった場合。3連単を60点ぐらい買っているのかな?という想像ができる。平均で300倍の3連単を的中していたらけっこう優秀なように思えるが、合成オッズで見れば5倍である。的中率を21%まで引き上げないと年間でプラスにならないし、1回すばらしい3連単を当てても4回しか負けることができない。これをできるレベルの人は、競馬予想で食っていけると思う。つまりプロ級だろう。

 

この点を確認すると、自分の馬券購入がそもそも黒字体質なのか、赤字体質なのかを認識することが可能だ。頑張って働いて稼いだ給料を購入資金にあてたところで、それはゾンビ企業に融資する資金難の地方銀行と変わらないわけだ。そんなことは一刻も早くやめなければならない。

 

釣り合いが取れている人はそのスタイルを貫けばいいが、赤字体質の人は経営改善計画を立てなければならない。

 

大きい要素としては購入資金の見直しと券種の選定だろう。

 

要するに負けられる回数を増やすか的中率を鬼のように上げることが黒字転換への方策だ。券種をいじりたくない人は、購入資金を減らすか合成オッズを上げなければならない。先ほどの6000円ー30000円の人なら購入資金を半分に減らせば9回まで負けることができる。逆に6000円をキープしたいなら購入点数を半減し、1点あたりの購入金額を倍にする。そうすれば平均配当も倍になるので同じく9回負けることができる。点

 

数を減らさずに60000円アベレージにすればいいじゃん、という人がいるかもしれないが、それができるなら最初からそうしとくべきで、さらにプロの領域へと近づいていると言えるから論外だろう。

 

60点買ってたから3連単当たってたんだよな~という人は、本当に勝ちたいなら券種見直しが必要だろう。3頭当てなくてもいい馬単にするのか、あるいは順不同の3連複にして1点を厚く買うのか。人それぞれだが、いずれにせよ「負けられる回数を増やすか的中率を鬼のように上げること」を目指し、変化をつけなければならない。

 

そんな僕が編み出したのが「漫田フォーム」だ。3連単6点で100万円を目指すこのフォーム。平均購入資金10000円で100万円を目指すので合成オッズは100倍。的中率2%でも勝てる、99回負けることができる魔法のフォームだ。

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出張中移動が暇だったので宣伝記事を書いてみました。以上。

フェルナンド・トーレス引退にあたって

先日サガン鳥栖所属のスペイン人FWフェルナンド・トーレスが引退を表明した。サッカーファンにとっては説明不要のスーパースターであり、WC優勝などナショナルチームでも輝かしい成績を収めた。そんな選手がJリーグにやってきて、しかもキャリアを日本で終わらせたのだから、給料泥棒と揶揄される成績であっても感慨深いものがある。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B9

 

20~30歳ぐらいのサッカーファンにとって、トーレスは男女問わずアイドル並みの人気を誇っていた。詳しいことはWikipediaをぜひ見てもらいたいが、アトレティコ・マドリーの下部組織で頭角を現すと、20代前半で一躍クラブのアイコンに成長。その後はEPLのリバプールに移籍し、初年度に得点を量産するなど大活躍を見せた。サッカー好きが講じて仲良くなった中学時代の友達数人とは、いつもトーレスのプレーで話題が持ち切りだった。当時のリバプールトーレス以外にもジェラードやシャビアロンソ、ホセレイナ、ディルクカイトにジェイミーキャラガーなど魅力的な選手が揃っていて、その時期だけリバプールファンがやたら多かった気がする。

 

そんな一時代を築いたトーレスだが、僕個人の印象では「とにかく技術的に魅せる選手」というイメージではなく、「泥臭くゴールへの嗅覚に優れた選手」という印象だ。もちろん賛否両論はあるとして、あの甘いマスクに似つかない不器用さが彼の魅力だったように思う。稀に見せるアクロバティックなスーパープレーが、さらにサッカーファンを引き付けることになったのは言うまでもない。

 


〝この頃の彼を止められる者はいなかった〟「フェルナンド・トーレス」-Redsでの全ゴール集 HD

 

チェルシーに移籍してからはスランプに陥り、「早熟」「終わった選手」などと言われたが、ACミランを挟んで帰還した古巣アトレティコではいぶし銀の活躍。ヨーロッパリーグ制覇を置き土産に、昨年日本のサガン鳥栖へ移籍した。僕が一番サッカーに熱中していた時代のアイドルが来日したわけで、当然彼のプレーを見に行きたかったが予定が折り合わず結局それは叶わなかった。鳥栖での成績は振るわなかったが、同時期に移籍してきたイニエスタたちとJリーグを大いに盛り上げた。そして先日の引退表明に至る。

 

なぜ今回わざわざトーレスの引退を記事にしたかというと、引退後も鳥栖に残りチームを改革する意思を表明してくれたことに感動したからだ。サッカー選手が引退するたびにブログを書こうとも思わないし、実際トーレスが引退すると知った時も「寂しいなあ、ついに引退かあ」ぐらいにしか感じなかった。

 

https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=60508

 

しかし引退会見の言葉の1つ1つに彼の人柄、魂を感じて刺さるものがあった。

「日本のサッカーを世界に広めたい」「ユースを育ててクラブを大きくしたい」「できることはなんでもする」

縁もゆかりもない、1年足らずしか住んでいない異国の地でここまで熱く語るなんて普通考えられるだろうか。しかも輝かしいキャリアを歩んだイケメンのスーパースターである。地中海が見えるプール付きの白亜の豪邸に住み、余生をゆったり過ごすことくらい考えても良さそうなものだが、それは凡人の考え方なのかもしれない。そういった熱いアグレッシブな人間だからこそのフェルナンド・トーレスであり、この実績だと言えるだろう。

 

基本的に無気力人間だと自覚しながら日々を生きているが、住んでるステージが全く違う異世界の人間からこんな刺激を与えられるとは思わなかった。毎日この記事を読んで気持ちを奮い立たせるために、備忘録としてしっかり記録しておく。ちなみに宝塚記念は◎エタリオウで死亡した。

「君の名は。」を初めて観た感想

流行には意地でも手を出せないひねくれものの僕は、空前の社会現象を巻き起こした映画「君の名は。」を一度も観たことがなかった。観たかったのに観てなかったわけではなく、単純に興味がなかったというのが正直なところである。とはいえ観てないにも関わらず、「あんなのミーハーが騒いでいるだけの駄作だろ」などと評していた過去の自分については、とりあえず黒歴史として地中奥深くに埋めておきたいほど恥ずかしさを憶える。

https://www.youtube.com/watch?v=sjhbO8lIc2s

そんな僕にとっての記念すべき「君の名は。」第1回視聴が先ほど終了した。観ようと思ったきっかけは「テレ朝が6/30に地上波放送をするから」という完全にひねくれもののそれで、放送まで我慢しようとかそういうのは一切ない。何なら自分より流行を先取りしている日本人が大半の中で、「地上波民より先に見終わりたい」という謎の競争心に煽られたわけだ。我ながらくだらない人間だと思う。ちなみに地上波”初”放送ではないので、完全に、真に時代遅れだということは自覚している。

 

観終わった結論から言うとsurfaceのキーボードを涙で濡らすほど感動した。なんて良い映画なのでしょう。自分のビフォーアフター具合に思わずテレ朝人気リフォーム番組みたいな口調になってしまったが、「良い映画すぎるでしょ!!」というのが素直な感想だ。作画・ストーリー・音楽すべてが完璧に思えるほどで。まあ自分は映画の講評をできるほど大した知識を持ち合わせていないわけで。そんな僕でも良い映画と言い切れるんだから流行りますわな。うん。

 

音楽に関しては昔からRADWIMPSが好きだったため、スパークルなどは良い曲だなあとよく聴いていた。劇中においてもかなりいい仕事をしていて、この作品の世界観の半分は彼らが作り上げていると言っても過言ではないだろう。音楽と絵の盛り上がりのピークがシンクロするシーンの数々は鳥肌ものだ。めっちゃ褒めてるやん自分。

 

公開当時に女の子と2人で行ったカラオケで歌ったりすると、相手が「君の名はめっちゃ感動した~」などと会話を盛り上げようとしてくれていたものだが、映画の方はからっきし興味がないため「あ、そうなんだ」としか返せず微妙な空気になったのは苦い思い出でである。めっちゃアホやん自分。

 

ストーリーは完全に初見だったためかなり新鮮に楽しむことができた。伏線などはかなり作りこまれていて、物語序盤でなんとなく出てきた「かたわれどき」の時間のみ、物語終盤において主人公2人がふれあうことができたシーンなんかはただ関心してしまった。「伏線だぞ!」って思わせない伏線ほど心地いいものはない。

 

電車ですれ違ったシーンからエンディングまでの描き方もかなり秀逸で、行動に現れる心情の移ろいにグッときてしまった。当たり前だが2人のその後がまったく描かれないで終わることについても、野暮ったさを生まないという意味でかなり大きい点だと思う。女性主人公の幼馴染2人が結婚式の相談をしているシーンの描写は、視聴者が勝手に膨らます2人のその後の想像を掻き立てるものではないだろうか。

 

と、もっと書こうと思えばいくらでも書けそうだが、この程度の感想は何万回とされていることなのでここらでやめておく。それこそ野暮ったい。まあ何が言いたいかといえば「君の名は。めっちゃええやん」ということしかないわけだが、もう1つ。流行るものには理由がある。老若男女問わずのブームに対して興味を持つことは無駄ではないかもしれない。タピオカについてはスルーでいいだろう。

 

以上タピオカカエルを守る会会長コメット翔でした。

好きになろうとする才能

これは恋愛指南でもなんでもなく至って真面目な話だが、人間がなにかを好きになることは一種の才能だと感じている。それは異性なのかもしれないし、趣味や仕事においても言えることだろう。

 

よく「にわか」という言葉が使われる。いわゆる古参ファンやガチ勢が、新規ファンや知ったかぶりする知識のない人間に対して使う言葉で、あまり良い意味で使われることがない。「にわかを批判するやつが新規を閉ざして業界の発展を妨げている」なんて言われたりもする。

 

それ自体はがっつり一理あるわけだが、一方で古参ファンやガチ勢を見てみると才能に溢れているなと感じる場面が多々ある。本当に精通している人と話すとその情報量に圧倒され、そら知ったかぶりしてるやつを見たら言いたくもなるよなと思ってしまう。思わせられる、と言った方がいいかもしれない。

 

その理由を探ってみると、ガチ勢には常に「一貫性」が感じられる。その一貫性を簡単に例えるなら、「夜になって眠くなったからさっさと風呂入ってパジャマに着替え布団に入る」的な感じ。好きになった物事に対する向き合い方に矛盾がないのである。その一貫性を生み出すのは知識量に他ならない。知識があるからその対象に理にかなった行動ができる。その人が言っていることと行動の整合性がとれるから、すっと腑に落ちる。

 

僕は自分で言うのも恐縮だが、この才能に関しては平均以上に長けていると思っている。学校の勉強はいつまで経っても嫌いだったが、それ以外の物事に対しては徹底的に好きになろうとした。仕事も今や趣味になっている。Twitterをほぼやめたのは、仕事にはまり過ぎてすべての時間が惜しくなったことも原因の1つだ。

 

ツイートにそんな時間かからんやろ、という声も聞こえてくるが、今は競馬や他の娯楽(このブログも含め)以外の時間はすべて仕事に費やしている。論文や本を読み漁り知識を貯めている。その成果は周りや取引先の反応で手に取るようにわかる。それはやはり自分の言葉に一貫性があるからだろう。

 

今は次々に目標ができて日々やりがいを感じる。充実すると良くも悪くも他人への興味がなくなり、なおさらTwitterなんぞ見ないわけで。誰がなにやってるか、なにを思っているかなんて知りたくもない。

 

世の中には何事も一貫性が大事で、経営戦略なんかでもよくこの言葉が重要視されている。なにか商品を発売するときに、特性・パッケージ・外見・価格・商品名・ターゲット・販路など、すべてに一貫性がなければ売れるわけがない。それを決めるにも膨大な情報量、それを扱う知識量と収集力が必要となる。

 

一貫性がない人間には魅力がない。そこまで言い切れるほどこの言葉には重みを感じる。

下痢してたら令和になっていた

この3日間、臓器をひたすらに酷使していたので、今日は夕方あたりから腹下しが止まる所を知らない。駅弁のウニ丼弁当を皮切りに、静岡おでん生しらす、生桜えび、しーすー、ホテルのビュッフェ、金目鯛の煮付け、鰻重(梅)…etc.食いすぎだ。その間に日本酒を1升、生ビールを6杯、缶ビール500mlを3本、ジントニック3杯、糞まずい静岡緑茶ハイ1杯…飲みすぎだ。今日は暇をもて余したのでひたすら酒しか飲まなかったのが余計であった。

 

そんなんで腹下し中に平成が終わった。自分が生まれた時代が淡々と終わり、新たな時代へと進んでいく。感慨もなければ世の中の祝福ムード、便乗商法に辟易とするばかりだが、数十年に一度の機運だと思えばなかなか乙に感じてきた。

 

そんな冷めたことを言いつつ平成最終日に皇居を訪れた。如何にもなネトウヨっぽいおじさんや、ガチで天皇陛下を有り難がってそうな車イスのご老人方、なんのこっちゃわかっていないであろうインバウンド、日本人なのになんのこっちゃわかっていないであろうヤングなアベック、他人の家に向かってひたすらカメラを構える気味の悪い国内外のマスコミ…色んな人間が集結した。暇潰しに来た僕のような非国民もたくさんいただろうが、こんなにダイバーシティな空間は正に非日常であり、日本の片田舎で日々鬱々と暮らす自分にとってかなりビビッドな経験だった。さすがに春天のハズレ馬券を握りしめて野次を飛ばす競馬ファンは見つけられなかった。

 

現代日本はどんどん住みやすくなり、比例してどんどん生きづらくなっている。文明の利器は人間のしょうもなさを浮き彫りにばかりしている。令和になって時代が進めば更に拍車がかかるのは自明であり、平成よりもクソな時代がやってくるのはまず間違いないだろう。この世に生を授かったこと自体クソなので、僕にとって平成よりも最悪な時代と言うのは存在しないわけだが。

 

話はまったく変わって、皇居はめちゃくちゃ良い場所だと思った。皇居ランナーなどという他人の家の周りを走り回る気色の悪い集団を馬鹿にしていたが、これは走りたくなるなと速攻で心変わりした。競い合うように建てられた節操ない丸の内の高層ビル群と、東京の街を400年見守ってきた皇居のコントラストは、これまた非日常的な空間を生み出している。クソな時代が待ち受けていようとも、あの空間は日本が守り続けなければいけない素晴らしい文化だと思う。

 

みんなが新しい時代へ向けて前向きな目標を語る中で恐縮だが、自分は令和が終わる前に死にたいと思っている。そこに向けて全力で走って枯れ果てたいと思う。

Twitterで「令和」をミュートしたったwww

今タイトルを打ってて「令和」が一発で変換できたため非常に驚いたが、ご存知の通り本日4月1日新元号が発表された。

 

正直改元について僕は死ぬほど興味がなくて、仕事が忙しかったこともあり「令和」に決定したことを午後2時頃把握した。興味がないと言ってももっとワクワク感があるだろうなあと期待していただけに、ここまで淡々と1日を過ごし「あっ、そうすか」的な感情になるとは思わず若干拍子抜けした気分ではある。

 

改元したから自分の何かが変わるわけでもないし…などという中二病みたいなことを言う気はないが、いつもと変わらない日常が実際に延々と続いていくわけである。一部の人は改元に際して仕事がめちゃくちゃ忙しくなったりするかもしれないけど、誰が何と言おうと大部分の人にとってこれは紛れもない現実だ。

 

僕は学生時代に歴史学を専攻していたので中途半端に元号の知識を持っている。まあこれは日本史の授業で習う範囲のことだけど、現在日本では「一世一元の制」に則り、天皇在位中の改元はしないことになっている。今回も新元号発表こそ在位中に行ったが、改元そのものは譲位後の5月1日になるためその原則は守られた形だ。また諡号(しごう)といって天皇崩御したあとにつけられる名前が存在する。現在は基本的に「明治天皇」「大正天皇」「昭和天皇」と呼ばれるように在位中の元号が用いられている。

 

しかし歴史を遡るとこの原則がずっと守られてきたわけではない。例えば平安京遷都の桓武天皇が在位していた時代の元号は、「桓武」ではなく天応~延暦の期間だ。一世一元の制でもなければ諡号=在位中の元号でもない。日本では長い間、天皇即位以外にも疫病が流行ったり天災が起きた不幸のタイミングや、逆に良いことが起こりそうなタイミングなど、何かと理由をつけて行われていたためである。

 

今回の改元は譲位のタイミングで行われたので、元号が変わり新元号は何になるのかということばかりに注目が集まった。別にそれ自体問題はないし大いに盛り上がってほしいが、そういった歴史を振り返ってみると、新しい時代をどう生きていくか、どう作り上げていくかをしっかり考えていきたいと感じる。

 

従来崩御のタイミングで改元が行われ、新元号は毎回自粛ムードで何となく暗い雰囲気のまま突入していったと周りの大人たちから聞く。しかし今回は今上天皇の大変な慈悲深さにより、明るく前向きな改元を迎えることができた。ここがいつもとは違う部分。

 

冒頭で「改元したから自分の何かが変わるわけでもない」と書いたが、淡々と何も考えずに暮らせばその通りなるだろう。しかしそこに何らかの価値観を創出するのも自分次第で、日常を変えるきっかけになる貴重な瞬間になるのかもしれない。

 

最高に明るい改元をスタートにして、次の改元を迎える時に「令和、良い時代だったな」と燗酒をすすりながら語り合える日々にしていきたい。改元そのものに興味や高揚感はなかったが、そんなことを考えながらいつもの晩酌をしみじみと終えた。とりあえず令和で競馬をやめたい。