自分の想像が追い付かない話を理解しようとしない人

今日のブログは題名そのままの内容なんですが、みなさんはそういった人に会ったことがあるでしょうか?

なんで僕がこういう話をしようと思ったのかというと、先日あることがありまして。本当に些細な事なんですけどね(笑)

 

一応僕は親元を離れて京都で一人暮らしをしています。もう1か月で卒業なのですぐ地元に帰っちゃいますが。それで母親が口うるさく「最低週1回は安否確認の電話をしろ」と言うもんで、入学してから毎週小1時間他愛もない世間話を必ずしています。別に親とは仲がいいんで苦痛には感じてはいなかったんですが、先週その他愛もない世間話で喧嘩をしてしまいました。

 

僕が京都金杯の朝に競馬場へ向かうべく駅まで移動している途中、以前勤めていたバイト先のスーパーの前を通りました。そこでばったり今もそのバイトを続けている元同僚の方に会ったんです。それでその人が「○○さん(筆者の名前)が抜けてからいろいろありましたよ~」なんて言うもんでなにがあったのか尋ねてみると、僕と同じ夜勤で一緒に働いていた50代のおっさんがレジから金を抜いてクビになったと言うのです。それもどうやら僕が働いていたときから常習的にやっていたらしいと。当然びっくりはしましたが、定職につかずバイトを掛け持ちしているにも関わらず、奥さんがいて、毎日パチンコを打って、その挙句NMB48にお熱でCDを何枚も買っているような人だったので、当時から金の出所には疑問がありました。手口を聞くと思い当たる不審な動きをしていたのでなんか妙に納得してしまう話でした。

 

その話題を母親との電話で話したんですよね。母もそのおっさんのことは僕の話で知っていたので、「おっさん金抜いたらしいわー」「えー噓でしょー」「反面教師だわほんとに」「そうね」「なんでそんなことしちゃうかね」みたいに、なにもおかしなこともなく会話が進んでいったんですが、僕が次に言ったことで母のリアクションが一変します。

 

筆者「でもさー、今はそんな環境にないからやるはずがないしおっさんの行動もまったく理解できないけど、これから人生60年近くあるなかで本当になにがあるかわからないし、孤独の身になって、無一文、路上暮らしするようなところまで転落したら人格も変わってどうなるかわからないよね」

 

僕は正直なにも間違ったこと言ってないと思います。だって本当に些細な事から人生は変わりますからね。たった22年しか生きていませんが、その間だけでも些細なことでいろいろな辛い経験をしてきましたからわかっているつもりです。

 

ですが母は僕のこの発言をまったく理解してくれませんでした。「それはちょっと違うんじゃない…(呆れ)そんな状況になっても人のお金に手をつけるなんてありえないし、それをあり得るかも知れないと思っちゃうのはどうかと思う…(呆れ)」みたいな感じで罵られました。僕はめちゃくちゃ傷つきました。母はもしかしたら僕が競馬に没頭している姿を見て、そういった金銭面の感覚に不安を持っているのかもしれませんが、月々に使う金額は決めていますし、少なくとも競馬が原因で生活が苦しくなったことはありません。子供にそんなことを言われたら親心で心配になる気持ちも理解できますが、母が僕を少なからずそういった危険をはらんでいる人間、というように見ていることがわかってしまったのでとても悲しくなりました。

 

詳しくは言えませんが、ここ数年母の実家のことで母が苦心していたのは知っていました。ただ前述したような困窮した生活をしていないのはわかりますし、なにより僕の実家は会社経営をしていて、自分は言ってしまえばいいとこのお坊ちゃんです。大学も私立に奨学金なしで通い、仕送りで下宿しているボンボンです。母親もそんな家庭に嫁いだからお金で苦労するはずがないので、「でもお母さんはそんな経験したことがないんだからわかるはずないじゃん」って言ったんです。そしたら突然感情的になって「あなたより生きてるんだけどそういう知ったようなこと言うの失礼じゃない?」と言い始めました。僕は失望しました。母はいつも客観的に物事を見て僕と兄に的確な助言をしてくれました。反抗期のころは「うっせーババア」言わんばかりに聞く耳を持ちませんでしたが、そのころでも耳が痛いことばかりでしたし、大学生になってからはそのころの後悔もあって耳を傾けるようにしていました。そんな母が僕が言った可能性の話を少しも理解せず、感情的になってまったくロジカルでない反論をしてきたことが悲しかったです。

 

そもそも母が言ったことって所詮きれいごとなんですよね。そんな場面に遭遇してまともでいられるとは限らないということを僕は言ったんですが、果たして理解してくれたのか。

 

前置きが長くなりましたが、まあこれの賛否は置いといて。題名の「自分の想像が追い付かない話を理解しようとしない人」って話してて疲れるし面白くないと思いませんか?母の場合は「人の金を盗むぐらいまで追い込まれた極限状態」を想像できずに感情的な意見を言い始めたケースでしたが、こういった人はよくいますよね。日曜日の競馬でもそういう人が見受けられました。

 

こじはるが3連単を当てて喜びのツイートをしたら、それに対して有象無象が「シングウィズジョイ予後ったのに不謹慎!」などど騒ぎ始めました。僕は去年の宝塚記念で大的中したときにめちゃくちゃ喜びたかったんですけど、よりによってドゥラメンテが競走能力喪失のけがを負い、それを自粛せざるをえませんでした。そういった経験からレース中の事故は後味が悪いよなあ、というツイートをした直後にこの話題が飛び込んできたので関心を持って意見しました。まあ僕は馬の怪我と馬券的中はまったく別の話なので喜んでいいと思います。まったく別の話なので。(大事なので2回言いました)

 

結局この不謹慎厨も、ツイートの表面しか見ていない「想像が追い付いてない人」ですよね。こじはるはAKBのリクエストアワーの真っただ中。ハート型ウイルスランクイン!嬉しい!…話が逸れました。だからシングウィズジョイがどうなったなんて確認できなかったかもしれません。知ってても言わずに心配していたかもしれません。なにも言及する必要性がないので。そういった可能性を考えないで表層部だけ見て意見するのはとても浅はかだし、自分の正義を人に強要しようとする偽善者に見えて仕方がありません。

 

ちょっと本題から脱線しますけど、日本人は本当に自粛と不謹慎とか好きですよね。「日本には四季がある(ドンッ」っていうレベルで日本人の美学として強要してくるのマジで気持ち悪い。僕は東日本大震災の被災地出身ですけど、県内はともかく遠く離れた他県の人たちが当時花見を自粛するとか言ってるニュース見て、みんな困惑してましたよ。お前だけ勝手に自粛すればいいだろ、強要するな。

あと当時流行ったのが芸能人のTwitterが「不謹慎だ」と言われ炎上したこと。AKBとか釈由美子が炎上したのを覚えてますが、今回のケースとまるっきり同じですよね。1つ言えることはこんなことで批判する輩は腐るほどいるんだから、発言力がある人はそこのリスクも計算にいれてつぶやく必要があります。別に悪いことだとは思いませんが。

 

話を戻してあと1つ触れておきたいことが。

 

これは僕と相互フォローしてるたろうまくん(データ予想とか面白いのでみんなぜひフォローしてね!)のツイートなんですが、秋葉原連続殺傷事件の加藤被告の言葉をツイートしたものを引用リツイートしています。結局僕がこの加藤被告に感情移入しても、親には全否定されると思うんですよね。だからって人を殺すのは身勝手だと。もちろんその通りなんですけど、それを自分なりに解釈して問題点を浮き彫りにする。それがロジカルな考え方だと思っています。たろうまくんは日ごろからそういうことを客観的な視点からツイートしていて今回のテーマにはぴったりだと思ったので、今回は本人の許可を得てツイートを載せました。

加藤被告の人を殺すという考えはもちろん理解できないけど、それに至った経緯は理解できるし同情する余地がある。この世の森羅万象にはあらゆる可能性があってそれを自分なりに咀嚼する力が求められます。誰かが「向上心のないやつはバカだ」と言いましたが本当にその通り。考えることをやめるほど愚かなことはありません。こういう部分も馬券力に関わってきたりします。最終的には自分の価値観で決めなければなりませんが、10%で決めつけるのではなくもっと見極めてから決める。そういった力が必要だと思います。「加藤被告?人殺しの考えなんて理解するのは無理だ」ではなく、「加藤被告ねえ…、まあ人殺す神経はわからんけどそれに至った経緯は一考する価値があると思う」となるだけで、話の広がり・議論の密度、そして自分自身の思考能力の質を高めるうえでとても大きな力になると思います。

 

自分の想像が追い付かないときはぜひこのブログを思い出して、1度考えてみることをおすすめします。