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主観とかどうでもいい。世の中はすべて客観性で成り立っている。

こういう話になると必ず、「日本人特有の強迫観念」とか「人の顔色をうかがいながら生きて何が楽しいのか」というリアクションがありますが、そんなの的外れ。お前ら外出ろ。

 

ぼくは今春社会人デビューしたばかりのペーペーですが、今までの人生が失敗だらけだったおかげで、同年代よりいい意味で達観してると思ってます。だからいろんな人のいろんな行動を見るたびに「やめとけばいいのに…」と思います。結末はぼくが察したとおりになります。

 

そのなかで特に多いのが主観で動いて失敗する人。

ぼくは小さいときからずっとバスケットをしていたんですけど、高校でいろいろあってやめてしまいました。まあ人間関係のもつれなんですけどね。「練習まじめにやろうぜ」と僕が言ったことが発端でした。

…え?と思われた方もいらっしゃいますよね?練習まじめにやるなんて当たり前ですから。でもそれは失敗だったんです。なぜかというと単純な話でやり方が悪かったから。すごい子供じみた、いじける感じでその当時を過ごしてました。当然周りから見ればめんどくさいやつとなりますし、相手もクソガキなんでぼくが言ってる内容より先に人格批判から入ってしまいます。だから日に日にお互いの信頼関係がなくなっていって、ぼくもめんどくさくなってやめたわけです。

「練習まじめにやれ」「練習ぎりぎりに来るなよ」「なんで下手くそがなめた態度とってんだよ」

今でも総合的に考えて間違ったことは言ってないと思っていますが、改めて客観的に考えてみると、先ほどあげたようなぼくの至らない点が見えてくるわけです。当時の自分にそんな客観性が備わっているわけもなく、気づいたのはだいぶ後からでした。

 

主観は大事です。しかしそれが正しいとは限らないし、正しくても受け入れられるとは限らない。世の中は無情ですけどそんなものだと思います。

 

競馬で自分の本命を決めるとき皆さんは主観で決めますよね?ぼくは基本的に穴党なので主観に頼った予想をせざるを得ないんですけど、単勝人気という客観性の権化をみたとき、毎回のように「本当にこれでいいのか?」という自問自答をします。結局貫きますが。なんで貫いていいのか。損するのも得するのも自分だけだからです。

 

ただ日ごろの日常生活ではそれが当てはまりません。人間は群れで生きている生き物です。集団に属さなければなりません。それが家族なのか、会社なのか、スポーツチームなのか、サークルなのかわかりませんが、集団に属していることを自覚して生活しなければなりません。

 

例えば企業のSNSページ。一般的には企業活動の報告やPRに関する投稿がほとんどですが、稀に担当者がプライベートアカウントのように使用している場合があります。例えば某日刊競馬のTwitterアカウントがそうですが、あれ正直マイナスでしかないですよね。結構過激なことばかりつぶやいているんで企業イメージが個人的にかなり悪いです。前にその担当者が「別に社として問題視されていない」的なツイートをしていましたが、もしそれが本当だとしたらリスクヘッジは下手すぎますし、企業としてかなり終わっていると思います。マイナスよりプラスのイメージを持たれたほうが絶対いいんですから。もちろん好き嫌いはありますけどね。

あとは素性がわかっている人間の過激ツイートもまずいですよね。いくら個人のアカウントと言っても、それがその集団の顔だったならその集団の総意とみなされても仕方がありません。

 

これらのことから何が言いたいかというと、いくら個人の正義があろうと自分を評価するのはあくまでも他人だということです。そう、客観性です。それを軽視して生きるなんてまず無理です。それを考慮しながら生きるのが大人なんです。

 

主観人間「(やばいうんこ漏れる。うんこ漏れたら電車乗ってるほかの人に迷惑がかかる。どうしよ。)」

 

極端な話、こういったシチュエーションで「我慢しよう」「漏らしてうんこマンの汚名、甘んじて受け止めよう」と思うのか「電車とめてうんこ行かせろ」と思うのかでわかれるよね~~という話。「うんこ漏らすの恥ずかしい。漏らしたら漏らしたでほかの人に迷惑かける」という主観も別に間違ったことは言ってません。ただ「漏らしてうんこマンになる」のほうが他人への迷惑は少ないですからこちらを選ぶのが正解です。

 

なにが言いたいのかわからなくなってきたのでここらへんで終わりにします。おやすみなさい。