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競馬をやめる方法を真剣に考えてみた

1.はじめに

私は競馬を趣味にしている。競馬は世間一般が考えているよりとても奥深いもので、様々な事柄を包括的に捉え、論証に矛盾がないかを確認しながら、自分の予想として成立させていかなければならない。ただその予想はあくまでも自分だけのもので、他の競馬ファンも同じように自分だけの予想を矛盾のない形で作り上げている。しかもその予想はレースの結果が出るまで正解がわからず、またその答えを導くための方程式は幾通りもある。そんな競馬の奥深さに憑りつかれた私は、毎週末の中央競馬を励みに1週間の生活を耐え抜いている。

しかしここ数週間はその気持ちに迷いが生じている。毎週末、日本中央競馬会に何万という大金を振り込み続けることが、風俗狂いの非モテ男子とどう違うのか。このお金があれば毎週小旅行に行けるのに。このお金があれば任天堂の新作ハードが買えるのに。このお金があれば軽い親孝行ができるのに。このお金を1年貯金しつづければ新車を購入できるのに。そもそも彼女作ってデートしたほうが健全じゃね?ていうか彼女ほしくね?

 

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こういった疑問はあげればキリがない。それらが私を惑わせ、結果的に毎週末の「競馬引退宣言」につながっている。そんな気持ちを吹き飛ばすためには競馬をやめるしかないので、やめる方法を真面目に考えることにした次第である。

 

2.方法

今回は方法→それに対する意見という順番の、問答法形式で進めていくこととする。

 

・「競馬をやめる」という断固たる決意をもってやめる

→一番単純ではあるが、そんなことでやめることができたらとっくに引退してるし、「東大を卒業して官僚になる」という断固たる決意をもつことで今の自分は存在していない。不採用。

・週末になると体を縛ってもらう

→物理的に一番単純である。手足を縛るだけでも良し。亀甲縛りで猿轡を加えるのも良し。前日発売が始まる金曜日の19時以降に、専門業者や家族に縛ってもらうのだ。しかしそれに伴って生活に支障が出てしまう。本末転倒である。そして体を縛ってまで競馬をやめようとする息子を見て両親はなにを思うか。おそらく血の涙をも超える何かが体から噴射されるだろう。不採用。

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・銀行口座を凍結する

→どうせまた作る。不採用。

・彼女を作る

→これが回りの非競馬民からもよく提唱されるオーソドックスな意見だ。彼女ができれば競馬以外の支出が増えるため馬券にお金を使えない。両者がもし結婚願望もっていて将来を見据えたとき、 貯金しなければならないという危機感が芽生え、自然と競馬から距離を置くことができる。などといった理由から述べられる意見だが、競馬好きの彼女を求めていれば通じないし、そもそも自分のお金を彼女がいるせいで好きなように使えないという不条理な現実は、日本中央競馬会に毎週何万と振り込む生活よりストレスが生じるだろう。かえって精神衛生上よくないのは自明。不採用。

・ほかの趣味を見つける

→「彼女を作る」と目的はほぼ同じだが、正直レースを見れて、予想を楽しむことができて、それらを楽しむために払ったお金がもしかすると倍以上になって戻ってくる可能性がある趣味なんてほかにあるだろうか。実はコスパ最強の趣味が競馬なのである。よって他の趣味を見つけるのは以ての外。不採用。

・死ぬ

→筆者が自身のTwitterでつぶやいた替え歌が以下の通りである。

誰しもが経験したと思うが、競馬に限らずギャンブルで収支帳を開いてマイナス値を目の当たりにしたとき、人はなんだか死にたくなることがある。死んでしまえば楽だからだが、こんなことで死を選ぶのは当然間違っている。そしてこの程度で死ぬ奴はとっくの昔に死んでいる。不採用。

 

3.結論

もっと細かくあげれば倍以上の方法を思いついたが、結局どれも決め手にかける印象だ。自分の思いつく限りの方法すべてが、屁理屈なりなんなりで簡単に論破されてしまう現実に若干絶望しかけているが、ポジティブにとらえると競馬はそれほどまでに欠点がない最高の趣味なのだ。楽しみ方は実に多様で、楽しみ方次第でどうにでもなる。そう考えると自分次第でもあり、引退ではなく別の視点から楽しむという考え方が重要だ。

微妙に話が逸れるが、タイムラインで「人生は楽しまないと損」というツイートをよく見る。それに触発されて、私も最近その手のツイートをたまにするが、ここではそれが大事なのかもしれない。それは競馬で負けて大金を失った現実から目をそらすのではなく、この最高の趣味を継続するために、自分の器量でどのようにして付き合っていくかを考えるべきという意味だ。やめないといけない状況にならない限りやめる必要はないのである。

毎週のように競馬引退宣言をする生活を一刻も早く脱却するためには、やめる方法を考えるのではなくそういった物事の味方が必要なのかも知れない。最後にちょっといいことを言ってみた。