2ちゃんねるもTwitterもめっちゃやった俺だからわかること

暇さえあればTwitterを見て、競馬クラスタとしょうもないやり取りをして、たまにオフ会で交流。もはやTwitterが生活の一部に溶け込んでいる。しかし僕にはその前に2chをめちゃくちゃやってる時代があった。2chを「やってる」という表現に違和感があるが、一般的に2ch、あるいはまとめサイトをただ見ている人が大多数で、実際にスレを立てたり書き込んでいる人はごく少数だろう。だから2chを「見る」という表現が一番自然だと考えるが、自分の場合はスレを立てたり書き込む側の人間だったので「やってる」という表現を用いた。

僕がやってた時の2chは今とは比べ物にならないくらい書き込みが多かった。当時中3だったので2009年くらいだと思うが、とにかく酷かったし面白かった。ネット用語の誕生にも立ち会ったことがあったし、今も続く炎上騒動を目撃しその騒ぎに加わったこともあった。しょうもない便所の落書きに天才を見たこともあった。今でいうゆゆうたみたいな才能の無駄遣いを感じさせる笑いがその時好きになった。才能あふれる人間がそれをひけらかすのは簡単だが、自虐的な笑いに能力を使うその才能がすごいと思った。共通の趣味を通じて遠慮なく汚い言葉で交流しあう時間が好きだった。今のTwitterでの僕の姿は当時にルーツがあると言って間違いない。

しかしそんな2chをいつしかあまり見なくなった。面白いコンテンツにはその輪に入りたいと新しい者が次々と参入する。そしてそれらが大多数になっていき、面白かったものがどんどん改悪されていく。「オワコン化」の1つの流れかもしれないが、僕はこれが原因で嫌いになった。VIP、なんJ、それに付随するあらゆるコンテンツがつまらなくなってしまった。陳腐化というのは便所の落書きにも起こりうることを身をもって体感した。

そういった経緯で次にTwitterを始めた。2ch時代は正直Twitterなんてクソと思っていたがやってみると意外と面白かった。Twitter2chでいうクソ͡コテだらけで、自己顕示欲の高さが新鮮で面白かった。2chは一期一会的な面があるけど、Twitterは特定の人と親交を深められるのでそれに良さを感じた。まさかオフ会をするとは思わなかった。

しかしよくTwitterで言われてる、「俺たちはネラーより民度が高い」的な要素は露ほども感じていない。誰かがいいねしてるからいいねする、誰かがフォローしてるからフォローする、誰かがツイートしてるから自分も同じようなツイートをする。なにかの信号で操作されているような、中身のないゾンビに見えることがある。オフ会で実際に話して人間性に幻滅したこともある。仲良くしてるとはいえネット上の付き合い。腹の底ではそんなこと思ってたんだなと恐ろしくなった。

 

基本的にどちらの媒体も好きなことを書いてつぶやけばいいし、各々の主観に他者が介入する余地はないと思っている。ただTwitterは人間関係という要素が多かれ少なかれ付きまとう。それをどうでもいいとするかしないか。僕は正直周りを気にしないで便所の落書きを続けたい。しかし冗談が通じない人もいて難しさを感じる。なにが正解なのかは判断できないが、とりあえず自分の主張を大事にしてほしい。それに賛同する人がフォロワーとして集まってくる。その人たちと交流するのが本来の使い方であるのだからそれでいい。ただオフ会で同じことやってるとダメかもしれませんよ。僕が最終的に言いたいのはそれだけです。