名作ゲーム「fallout3」が教えてくれたこと

中山遠征記の続きをまだ書いていなかったが、それは気が向いたら更新することとする。

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唐突だが皆さんは「fallout」というゲームシリーズを知っているだろうか。核戦争後の荒廃したアメリカが舞台で、特にプレイステーション3で発売された「fallout3」が世界的に大ヒットした人気ゲームである。Vaultという核シェルターで育った主人公が、親父のVault脱走を機に自分も荒廃したワシントンD.Cに飛び出す所から始まるこのゲーム。とにかく胸糞悪い。さすが18禁🔞という内容で、登場するモンスター、人間、死体のグロさはもちろん、ゲーム画面の色合いがとにかく灰色でプレイヤーの気持ちをどんよりさせる。ゲームのコンセプトをしっかり表しているという意味では製作スタッフに脱帽である。

 

しかしやりこみ要素が多く、発売から10年近く経った今でもたまにやりたくなる。鬱まっしぐらの僕がこんな暗いゲームを好んでやるのは異常だ。それだけ面白いということ。その要因の1つは間違いなく「カルマ」という機能で、自分が善行を重ねれば重ねるほど聖人に近づき、悪行を重ねれば重ねるほど極悪人になるシステムだ。例えば拠点の前に水を要求してくる乞食が座っている。この世界の水はほとんど核汚染水で、きれいな水はとても珍しいアイテムだ。それをその乞食に分け与えるとカルマは上昇する。逆に水を飲まなくても良いように息の根を止めてやるとカルマは下落する。どちらもやってみたが正直正解はない気がした。このゲームのすごい所はそこらへんのノンプレイヤーがどれも一癖あって、正直殺されても仕方ないなという奴ばかりなのである。だから水乞食を助けたところで「なんでこいつに水をあげたんだろ」という後悔が生まれる。水を恵んだ4秒後に即銃殺したこともあった。(AV風)

 

リアルでもそんなやつっていないだろうか。因果応報というあれ。助けてあげたいとか守ってあげたいとかそう思わせる人間は、結局自分もしっかりやることやってることが多い。当たり前だけどそう思われない人間は自分の要求ばかりしてきて自分は何もしない。僧侶が羊水腐りかけババアに正論ぶちかまして話題になったことがあったが、それも要約するとそういう内容だった。自分が文句言われないぐらいがんばれば誰かが守ってくれるのである。

 

このゲームが大変なのは物資に乏しい序盤戦である。Vaultを出てくる際にゲットできるバットや10mmハンドガンなどの限られた武器で序盤を攻略していくわけだが、これがなかなか難しい。人やモンスターを殺して武器や衣服、物資を剥ぎ取り自分が使うorショップで売りさばいてアイテムを買うという作業をしなければならないが、人もモンスターも群れをなして行動しているパターンが多い。そのため一度感づかれたら多人数を相手にしなけらばならず大量に銃弾を消費してしまう。相手に気づかれずヘッドショットを決めたりすると一発で殺せるので、序盤は極力交戦を避けるためにこれを利用する。所謂チキンプレイだ。このタイミングで撃ってはずしたら気づかれるな、これぐらい近づけば安パイだろ、などと考えながら省エネの殺戮を心掛ける。これを繰り返して徐々に装備が整えばあとはぬるゲー。銃撃ち放題で真正面から特攻することも可能である。

 

競馬でも同じことを言えないだろうか。最初は限られた予算でスタートして、馬券を当てて資金が増えたらレートを上げる。すると不思議なことに当たり前のように勝てるようになる。1つの的中の払戻を大きくするのも自由だし、点数を増やして的中する可能性を上げるのも自由だが、馬券の買い方・気持ちに余裕が生まれる。逆に序盤から身の丈合わない買い方をすると資金ショートで詰む。楽しみたいなら最初は我慢。まさかゲームで教わるとは思わなかった。