漫田久子の備忘録

日常、競馬など

「戦闘民族Twitter民」に見る人間の他人sage欲求

前のTwitterアカウントを消してからかれこれ1か月半が経つ。現在はこのブログをアウトプットの手段として利用しているが、字数を気にせずに自論をまとめられる点で非常に満足している。Twitterはどうしても字数という壁があり、なおかつインスタントに発信できるせいで衝動的に駄文を世に送り出してしまうことがしばしばあった。そういう意味では言葉足らずで語弊を生むリスクが減った点は大きなメリットと言える。まあ衝動的にブログを書き綴ることもしばしばあるが、公開するしないで悩むことができるし、200文字の中には到底入れることができなかった「末筆ながら駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました」などという保険もかけられるだけマシである。

f:id:anadaisei0609:20190202220235j:plain

写真は伊藤聡子ちゃん。

ところでツイートしなくなったおかげでTwitterの幼さがよく見えるようになった。「こいつらいつも戦ってんな」などとひきつった笑みを浮かべるばかりだが、よく考えると自分もつまらないことでいつも仁義なき戦い勃発していたので同じ穴の狢だった。素直に恥ずかしい。一部の層にはそういった自分のツイートがウケていたみたいだが、それはむしろTwitterの幼さの一端とも言える。そんな自分がウケるような界隈は低レベルだ。

f:id:anadaisei0609:20190202220303j:plain

写真は伊藤聡子ちゃん。

「他人をディスって笑いをとるやつはつまらない」

これは西郷隆盛が遺した最高の名言なんだけど、自分を振り返ると本当に的を得ているなと感じる。僕は人をディスる笑いばかり取ろうとする人間だが、これはブラックサンダーがおいしいことくらい間違いない。長井秀和波田陽区だいたひかるも消えたのでマジで間違いない。ディスり芸は一時的なオナニーでしかなく、快感は長続きしない。スローセックスを楽しみたいなら誰も傷つかないネタで笑いを取りにいくべきだ。

 

Twitterをやめたことにより戦いを仕掛けることは当然なくなったが、正当防衛する場も放棄した。つまりなにかネガキャンされても言われ放しの状態だ。反論してこないから都合が良いので冤罪をなすりつけられることもあるし、逆に名推理で僕の悪事を暴いても何も反論してこないから真相は闇の中、なんてこともあるかもしれない。Twitterで言い争いをして気持ちがスッキリしたことはただの一度もないので、そのストレスから解放されたのは非常に喜ばしいことではある。

f:id:anadaisei0609:20190202220339j:plain

写真は伊藤聡子ちゃん。

しかしながら事実を捻じ曲げたり、都合が悪いことを隠して他人の風評をばら撒くのはやはりいただけない。そんなやつに限って自分がなにか言われると火病を起こすわけだが。みんな矛盾点にはすぐ気づくし嘘ついたらバカでも見透かしてくる。嘘というのはそれぐらい単純でハリボテだ。

 

誰かの噂話を聞いたり当事者の片割れから事情を聞いたら、大抵はその人の今までの言動や性格で整合性を判断すると思う。それには多少の偏見も入っているから事実として受け止めるのは頭が弱いと思うが、そう思われても仕方がない人というのはたしかに存在する。まあそれはそれとして、シンプルに見てない・立ち会っていない話を全て鵜呑みにするタイプの人はバカだ。肝に銘じて生きてほしい。少なくとも僕はそういった過去の自分を恥ずかしく思っている。

 

そんなことを書き綴ってきたが、次に更新するブログのタイトルは「なぜ薄汚いハゲデブ童貞のうんこ野郎にビッチ女子大生は殺されたのか」