漫田久子の備忘録

日常、競馬など

規律があるから自由が生まれる

今日は竹鶴の純米にごりを仕入れてきて飲みました。燗酒は55℃の「とびきり燗」が最高温度として周知されていますが、この枠組みにとらわれずに色々試したいな思わせる酒です。70℃くらいまで上げても普通に美味しい。アルコールは78℃が沸点なので、70℃というのはアルコールが飛んでしまうギリギリの温度です。上げすぎるとギスギスした感じになってしまう酒が往々にしてありますが、この酒はそういったこともありません。すごい酒だ。逆に中途半端に苦浮く感じで上げきった方が良いです。


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こんな美味しい酒が飲めるのも、自分の味覚が成熟していってるからこそだと思っています。これは「自分の舌が肥えている」と言っているわけではなく、シンプルに「高校生ではこの美味しさがわからない」というだけの話です。塩舐めたり出汁をすすりながら燗酒をちびりちびり…なんてのは完全に趣味の話なんで歳をとってもわからない人はわからないですが、子供の時に食べられなかった物が大人になってから口にしたらめちゃくちゃうまかった、なんてことよくありませんか?ホヤ、塩辛、レバー、ふきのとう…etc.その手の食べ物ぱっと考えただけでもたくさんあります。年相応に良い物は理解できるようになります。

 

よく高校生がイキりたいためだけに酒飲みたがりますよね。勝手に飲んでもらって構わないけど、飲酒という行為に「大人」を見出しているはずのその行動、逆に幼稚に見えることが多く見受けられます。これを飛躍させると、「高校生は酒を飲めない」という社会規範はなぜ存在するのかという話になります。結論から言うと必要な時に最大限に楽しむためだと思うのです。高校生がマクドでポテト・コーラを食べながらおしゃべりするのと、居酒屋でリーマンが枝豆・ビールを食べながらおしゃべりするの、延長線上にはあるけど趣がまったく違います。酒は高校生に必要がないから飲まなくていいんです。

 

そういった規範を「大人が決めたつまらない枠組みだ、自由にさせろ」と断じるケースがありますが、ルールがあるから自由が引き立つのではないか、そう思うわけです。北斗の拳ラオウは、核戦争後の無法状態である世界を暴力と恐怖で支配していました。ある意味何をしても自由な世界ですが、規律がないから大部分の民衆に自由はないんですよね。ラオウはこの統治に限界を感じて愛を持つケンシロウに倒される道を敢えて選ぶわけです。見せかけの自由に本当の自由は生まれない、武論尊先生はそんなことを言いたかったんじゃないですかね。拡大解釈かもしれません。

 

竹鶴から話が随分と飛躍してしまいましたが、北斗の拳を久々に見たらやっぱり面白すぎてネタにしたかったので無理やり繋げてみました。