漫田久子の備忘録

日常、競馬など

好きになろうとする才能

これは恋愛指南でもなんでもなく至って真面目な話だが、人間がなにかを好きになることは一種の才能だと感じている。それは異性なのかもしれないし、趣味や仕事においても言えることだろう。

 

よく「にわか」という言葉が使われる。いわゆる古参ファンやガチ勢が、新規ファンや知ったかぶりする知識のない人間に対して使う言葉で、あまり良い意味で使われることがない。「にわかを批判するやつが新規を閉ざして業界の発展を妨げている」なんて言われたりもする。

 

それ自体はがっつり一理あるわけだが、一方で古参ファンやガチ勢を見てみると才能に溢れているなと感じる場面が多々ある。本当に精通している人と話すとその情報量に圧倒され、そら知ったかぶりしてるやつを見たら言いたくもなるよなと思ってしまう。思わせられる、と言った方がいいかもしれない。

 

その理由を探ってみると、ガチ勢には常に「一貫性」が感じられる。その一貫性を簡単に例えるなら、「夜になって眠くなったからさっさと風呂入ってパジャマに着替え布団に入る」的な感じ。好きになった物事に対する向き合い方に矛盾がないのである。その一貫性を生み出すのは知識量に他ならない。知識があるからその対象に理にかなった行動ができる。その人が言っていることと行動の整合性がとれるから、すっと腑に落ちる。

 

僕は自分で言うのも恐縮だが、この才能に関しては平均以上に長けていると思っている。学校の勉強はいつまで経っても嫌いだったが、それ以外の物事に対しては徹底的に好きになろうとした。仕事も今や趣味になっている。Twitterをほぼやめたのは、仕事にはまり過ぎてすべての時間が惜しくなったことも原因の1つだ。

 

ツイートにそんな時間かからんやろ、という声も聞こえてくるが、今は競馬や他の娯楽(このブログも含め)以外の時間はすべて仕事に費やしている。論文や本を読み漁り知識を貯めている。その成果は周りや取引先の反応で手に取るようにわかる。それはやはり自分の言葉に一貫性があるからだろう。

 

今は次々に目標ができて日々やりがいを感じる。充実すると良くも悪くも他人への興味がなくなり、なおさらTwitterなんぞ見ないわけで。誰がなにやってるか、なにを思っているかなんて知りたくもない。

 

世の中には何事も一貫性が大事で、経営戦略なんかでもよくこの言葉が重要視されている。なにか商品を発売するときに、特性・パッケージ・外見・価格・商品名・ターゲット・販路など、すべてに一貫性がなければ売れるわけがない。それを決めるにも膨大な情報量、それを扱う知識量と収集力が必要となる。

 

一貫性がない人間には魅力がない。そこまで言い切れるほどこの言葉には重みを感じる。