漫田久子の備忘録

日常、競馬など

黒寄りのグレーと白寄りのグレー

新年早々に仕事でお世話になった先輩の訃報を伝え聞いた。東北と九州という遠く離れた場所にお互いいながら、大阪などで出張のタイミングが合えば隙あらば飲みに行く間柄。正直仕事の仕方に敬意はなくて、その点においては僕の考え方とは相反していたが、酒席となれば大いに盛り上がり尊敬する方だった。これからの何十年間、こういった出会いと別れが繰り返されると思うと憂鬱に感じるが、1つ1つを疎かにせず御縁を大切にしていきたいと思う。一期一会とはまさにこの事だろうか。

 

そんな人生の機微を感じる最中、Twitterでこの話題とリンクする話題を見つけた。具体的な人物名や内容、その是非について当事者ではない僕が言及することは避けるが、皆さんにもここで一考してもらいたいテーマではある。

 

 

「グレーゾーン」この言葉にどんな印象を憶えるだろうか。まああまり良い意味で使われない言葉ではあると思う。違法すれすれの行為とか、そういった微妙なラインを表現するときに使われる。

 

ただし僕はこの言葉も二面性を持っていると考える。ブログタイトルのまま、「黒寄りのグレー」であるのか、それとも「白寄りのグレー」なのかだ。

 

法をイメージするとわかりやすいと思う。黒寄りのグレーは「倫理的にもアウトで法の網をくぐり抜ける」行為。対して白寄りのグレーは「倫理的にもセーフだし法の欠陥によりそうせざるをえない」行為。こんなところだろうか。グレーゾーンに踏み込んだ時点で倫理的にセーフも糞もないという考え方もあるが、残念ながらこの世の中にはそんな事象があふれている。

 

最近競馬界隈では某競馬関係者の家庭内トラブルが話題になった。あの場合、警察が介入した時点でその行為が真に行われたことは間違いなく、是非で言えば間違いなく非。糾弾されても仕方がない。ところが他の要素に目を向けてみると、そもそも何かがおかしい。原因は両者にあるのでは?…etc.と、様々な視点が浮かんでくる。それをもってグレーゾーンだとは言わないが、無差別大量殺人鬼ぐらいはっきりした悪でないと黒と認識できないことは、この話にしてもそうだし沢山存在していると思う。

 

M‐1を機にブレイク中の「ぺこぱ」のネタがわかりやすくて、背景までおもんぱかった時、途端に肯定の情が浮かんでくる瞬間がある。そういったことは判断能力を鈍らせてしまう時もあるが、逆にそういった思考が1ミリもないと偏った考え方に終始してしまう。これは僕がこの1年気を付けていることの1つでもある。

 

結局何が言いたいのかわからないところでフワフワと話を進めているが、最初に書いたように是非について言及するつもりはない。一番考えてほしいのが、「考え方が異なる相手との向き合い方」である。

 

亡くなった先輩とリンクした部分はまさにそこで、僕は経営者目線の考え方に対し先輩はあくまでも雇われ営業マンとしての考え方。経費や仕事に対する向き合い方、そして根本的な覚悟から違うので、当然異なった主張になるのである。話しててウンザリすることもしばしばあったが、それでも同業の仲間として尊敬し仲良くしていたのは、そういった部分と人間性を切り離して考えられたからだと思う。僕だけでなく先輩もそういった切り替えで接してくれた、はず。

 

人間関係というのは我慢するかしないかで決まる。めちゃくちゃ気の合う友人にも、理解できない要素が少なからずあるはずで、そこを我慢できるかできないか。僕は我慢できない系人間なので、友達が少ない。残念。

 

だからといって無理して我慢する必要もない。それって精神衛生上とても良くないので。何らかのコミュニティに属している以上、そういった取り捨てに必ず遭遇する。我慢した人間は「大人の対応」だと讃えられるが、僕はそう思わない。明らかに自分のイデオロギーに反しているのに我慢するのは、嫌われることからただ逃げているだけだから。そこは必ず主張すべきである。

 

そのうえでどうなるか。亡くなった先輩とは意見を交わしたうえで間柄が続いたからよかった。逆ならそれまでの出会いだったのだろう。

 

グレーゾーンというのはまさにその境界線だと思う。自分がどうしようと勝手だが、そこに他人を巻き込むべきではないし、巻き込まれそうになったら自分の信条にとことん従えばいい。

 

いつもの通りなにが言いたいかよくわからないブログになってしまったが、AV女優の高橋しょう子が整形して量産型になってしまわれたことについては、一人一人が熟考し後世に語り継いでいきたい。